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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2008/11/02

ロースクールは、卒業生の就職の世話をするべきではないか

11月2日現在、新62期は、まだ修習が開始されていないのだが、既に就職戦線は始まっている。私が何度か発言しているように、司法修習生の就職状況は、毎年厳しくなる一方となっているが、62期は特に厳しいように思える。
 10月18日には、大阪弁護士会館にて、新旧62期(但し、新62期の場合は修習予定者)向けに、ひまわり公設事務所や法テラスに関する説明会が開催されたが、そこでは、法律事務所の就職に関する一般的な説明も行われた。これは、例年日弁連会館で開催されていたものであるが、今年からは、修習生や修習予定者の負担を考慮して、大阪弁護士会館でも開催されることになったのである。京都弁護士会もブースを設置することとなり、私が説明担当者として出席した。私がひまわり公設に詳しいことと、ほぼ毎年のようにこの説明会には出席していたということから、出席することになったものである。
 この説明会は、全体では140名ほどの修習予定者が参加されていたようであるが、そのうち約40名ほどが京都ブースを訪問された。そのほとんどは、ひわまり公設の希望者というよりは、京都市内での就職の状況についての情報を入手したい人たちであった。ところが、京都での採用予定事務所は2つしかない状態で、修習予定者には誠に気の毒な状態となってしまった。私としては、採用する側からの就職に関するアドバイスをできる限り具体的にさせていただいたのであるが、せっかく合格したばかりの人たちに対して、就職先がみつからない状態を説明することは非常に心苦しいものがあった。なお、滋賀県や和歌山県は、参加そのものをとりやめてしまっていたから、私が何度か指摘させていただいたように、都市部ではない地域の就職戦線が急激に厳しくなっていることが裏付けられてしまっていた。
 実際、61期の就職でも、修習指導係が何人も話して無理矢理に採用してもらったような人もいるぐらいなので、京都では62期を採用するところがどこにあるのかなという感じが、私の実感である。
 ところで、修習生の就職について一番努力しているのは、何よりも修習委員たる弁護士であるというのは間違いないところである。上記の説明会などもその一環といえる。この点が、大学生の就職と違うところである。大学生の就職については、大学は就職課を設置するなどしてかなり努力しているように思えるが、ロースクールは、卒業生の就職については全く何の努力もしていないというのが実態ではないかと思われる。元々、司法修習生の就職について大学が何らかの援助をするということはなかったが、それは、就職なぞ心配する必要がない状態が続いていたこともあるだけでなく、就職については司法研修所に任せきりになっていたというところが大きいようにも思える。ましてや、ロースクールは卒業後に司法試験を受けることになるので、在学中に就職問題が発生することがない上、司法研修所というクッションがあるだけに、就職のことについては全く無関心でいられるわけである。司法試験に合格させればそれで自分の役割はおしまいと考えているようにも思えるほどである。
 しかし、実際に就職もできないようなことであれば、誰も試験を受けないのではないかと思うので、就職のことに無関心なままに学生だけを集めようとしているロースクールは学生に対して背信的な行為を行っているように思えてきた。無知な学生に事実を伝えていないとすれば、消費者被害事件という側面があるようにも思えてくる。そもそも、就職状況を知った上で、進路指導をするのが、職業人養成機関であるロースクールとしての当然の務めであろう。そして、そのことを自覚すれば、ロースクール関係者からの「合格者だけ増やせばよい」というような無責任な発言は少なくなるのではないかと思う。ロースクール関係者は、修習生の就職問題について、もっと自覚をもって真剣に取り組むべきである。

2008/10/23

神社の老朽化

京都は、寺社仏閣が多い街ですが、私には、神社の老朽化が目立ってきているように思えます。
著明な寺院は、拝観料をもらわれているところが多いため、お庭の手入れなども行き届いていますが、神社では、著明なところでも拝観料をもらわれているところはないので、お賽銭やご祈祷、建築の安全祈願祭などからの収入に頼られていることになります。このため、著明とは言えないような神社は厳しい経営を強いられていることになっているのではないかと思います。
神社は、そのほとんどが重厚な瓦屋根で、建物の自重、特に屋根部分の重さが大きい上、壁が少なくて柱だけで建物を支える構造になっているものが多いため、老朽化が進行すると、建物の崩壊の危険性が高まることになります。
これは、おそらく、京都だけの問題ではなく、全国的な問題なのだろうと思います。特に過疎地域では、信者の減少もあるはずですから、余計に厳しい経営を強いられているのではないかと思います。先日、私が佐賀県の田舎に帰省したときに、地域の神社に立ち寄ったのですが、参拝客もおられず、寂れているような印象を受けました。小さい頃のお祭りの思い出を考えると、昔日の感があり、寂しい思いをしました。
各地の神社には、地域の信仰を支えてきた貴重な歴史的文化財も多いはずですから、神社建築の保護のため、国や公共団体からの支援も含めた議論が必要な時期に来ているように思います。

2008/10/20

気になる裁判官の癖など

裁判官は、法廷の主催者なので、あまり裁判官に意見をもの申す人はいません。弁護士もしかりであって、苦情を言う弁護士は少ないと思います。裁判への影響を考えるためです。しかし、弁護士しか裁判官に面と向かって文句を言える立場にある人間はいないわけですから、私は、たまには抗議をしたりします。ただ、国家権力の行使者に対して、弁護士としてやれることは限られています。どんなことをしたかは、ブログなどで公表するものではないので、ここでは差し控えさせていただきます。でも、そんな伝家の宝刀を抜くようなような事態はまれですから、大抵の裁判官は、多少変なことをしていても、弁護士からスルーされているわけです。
最近、私が気になっているのは、あごに手をあててしゃべる裁判官が増えてきていることです。法廷の裁判官席は、高いところにありますから、裁判官は、上から当事者を見下げているわけですが、その裁判官があごに手をあてながらしゃべってくるとなると、素人である当事者はあまり良い印象を持たないのではないかと思います。実際、ある若手の裁判官は、ひじをついて手であごをなでながら証人を尋問する癖があり、あれでは尋問を受けている証人は、かなり気分を害するのではないかと思ったりしたことがあります。丁寧に記録を読んでおられる裁判官でしたし、尋問の内容もおかしなものではなかったのですが、弁護士としてはクレームはいいにくいので、そのままにしてしまいました。どこかでトラブルにならなければいいのですが。
また、いつもニコニコしている裁判官もおられますが、ニコニコしながらきついことを言われると、人の不幸を楽しんでいるのではないかと感じることがあります。きついことは、にやつかずに話して欲しいと思います。実際、私が不快に思った裁判官は、きつい判決を書く人でした。死産に関わる事件で結果論だと書かれたのですが、結果論と言う言葉を書くのであれば裁判官など不要だと言いたくもなりました。当事者は、結果をみて納得できないから裁判を申し立てているわけですが、その心情を全く理解できていない心の通わない判決の典型だったなと思っています。
語尾がはっきりしない裁判官も困りものです。弁護士相手ならまだ推測で理解できるところはありますが、素人相手にもごもご話されている裁判官をみると、この裁判官は今後ちゃんとやっていけるのだろうかと思ったりすることがあります。
癖とは言えないけど、ひどいのは尋問途中で眠ってしまう裁判官です。私は、寝ているのを発見して、裁判官席に近づいて尋問したことがあります。その裁判官は、陳述書という証人調に代わる書類の提出を認めず、自分の目の前で調べたものしか証拠としては認めない裁判官だったので、私としては、怒り心頭に発する思いでした。
いずれにしても、裁判官の癖のようなもので目につくものについては、小さな段階で当該裁判官が気づいてもらえるような制度が必要なように思います。トラブルとなった後では遅いと思うのです。これを裁判官の独立を維持しながらどう実現するのかということは難しい問題です。裁判官を上から抑えつけるのは自由な社会の危機につながりますので。

2008/10/16

やはり一般市民が被害者となりつつある景観政策

京都市の景観政策が、京都市内の建築に重大な悪影響を与えているという客観的なデータがでてきていることについては、以前にエントリーしたとおりですが、建築コストの増大と建物が完成するまでにかかる時間がやたらに長くなっていることが、市民に経済的な打撃を与えているということが実感されるようになってきているようです。本日のアサヒ新聞の夕刊では、「京都市「新景観政策」に不動産・建設業界から悲鳴」という題の記事が掲載されています。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200810160058.html
この記事には、なぜ屋根が灰色だとだめなのかと言われている主婦の方の声が載せられています。私は、このような過度の規制は、京都市というお上による表現の自由の侵害ではないかと思います。京都市内にスペイン風の建物を建築しても本来自由だと思いますし、赤煉瓦の屋根の建物なんて、すてきではないかと思います。しかも、このような規制が原因となって建築に時間がかかるということは、金利負担や工事中の代替住宅の賃料等の負担が増大しますし、特殊な建材が必要となれば、建築コストも増大することになりますから、この規制は市民の経済的利益の侵害という側面も持っています。この記事では、規制がなければ300万円でできた補修が1200万円にふくらんで断念された方の例も紹介されています。こうなると、空き家とか、倒壊寸前の建物の増大を招くこととなり、景観も悪くなるどころか、危険な町並みを作り出すことになります。
この記事では、08年の新設住宅着工戸数が前年の約半分となったということも紹介していますが、これは、地元の建設業界が死活的な問題に直面していることを意味しています。
京都市は、倒産に追い込まれた人や資産が大幅に目減りしたような人に対して、きちんとした補償を行うなどして責任をとるべきでしょうが、この記事によると、景観が整って京都の価値が高まれば、経済が活性化するなどと言っているようですから、全く責任を感じていないようです。しかし、そんな景観が整うはずもなく、景観が形成される前に町全体の老朽化が急速に進行することは必至ですし、奇跡的に京都市の言うような整った景観ができたとしても、それは50年以上先のことでしょう。その頃に、今現在生きている京都市民のほとんどはこの世にいないということになるはずです。一体誰のための政策なのでしょうか。京都市はもっと謙虚に被害者の声を聞くべきだと思います。