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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2009/07/25

ロースクール学生の暑い夏

ブログを更新しない理由を書いて以来、色々なことがあって、ブログが更新できないままとなっていた。ようやく、書く題材が得られて余裕が少しできたこともあって、本日は、法曹養成問題に関する極めて実務的でタイムリーな話題を提供したい。
 このブログは、修習生の就職難のことに触れることが多いのだが、今回は、修習生の就職難が、ついにロースクールの学生にも影響してきていることについて触れようと思う。すなわち、昨今では、サマークラークなるものが出現し、ロースクールの卒業生が、司法試験の合格前に、弁護士事務所でアルバイトをすることが広がっている。東京では、サマーエクスターンシップと呼ぶようであり、東京の法律事務所ではこの制度がかなり定着しているようなので、この用語の方が正確なのかも知れない。弁護士事務所としては、優秀な人材をこの機会で選別し、青田買をするわけであり、受験生側からすれば、このサマーエクスターンシップを通じて就職活動を開始するわけである。新司法試験を受験するためには、ロースクールを卒業しなければならないので、ロースクールの卒業生は、ロースクールの卒業後に学生でも修習生でもない時期がでてくるので、サマーエクスターンシップは、卒業生を対象としたものから始まったようだが、現在ではロースクールの在学生にまで広がってきているとのことである。このようにして、就職戦線は、時期的には、司法試験受験生の段階にまで早期化しているというわけである。合格者500人時代では、2年修習の後期でも就職先確保が余裕をもって可能だったことと比較すると、隔世の感がある。弁護士の就職難が、この数年で大きく変化しているということを示す一つのエピソードである。
 ただ、このようなサマーエクスターンシップの機会を得ることができるのは、東京や関西の著名なロースクールの学生ぐらいというのが実態であって、地方のロースクールでは、サマーエクスターンシップの機会すら得られないという状態になっているようなので、地方のロースクールの学生は、この点でもハンディキャップを背負い込んでいることにもなる。これは、弁護士の偏在対策というロースクール制度の導入理由からは外れた現象ということになりそうである。
 また、このような制度が事実上流行りだしているということを弁護士事務所サイドから考えると、人材確保のための競争が激化しているという見方もできることになる。供給が量的に増えたことで、良質な人材確保のためには、各事務所の自助努力が必要となったということになるわけである。日弁連は、青田買の自粛を呼びかけているが、需給双方が一致して自然発生的に生じた制度を日弁連の呼びかけ程度で阻止できるはずもないし、そもそも日弁連として積極的な採用を働きかけていることとも矛盾しているから、今後、この制度が広く定着していくことは間違いないように思われる。この結果、受験生の段階ですら、勉強しながら就職活動を強いられるというわけである。私には、合格者の急増は、受験生を苦しめるだけのものとなっているように思えてならない。合格者の枠を増やせば、受験生が楽になるかというと、実際に仕事に就くという最終目標まで考えた場合には、そうでもないのが実情となってきているようにも思えるのである。

2009/04/27

ブログを毎日更新していない言い訳

最近、更新ができていませんでした。予告した記事も書けていません。今日は、その言い訳です。
 ブログを毎日のように更新している弁護士さんが沢山おられますが、このブログは、連日のように更新するときもあれば、半年近くも更新しなかったりするときもあります。更新がないと、ブログを訪問されるお客さんも減ってしまうので、自業自得ということではありますが、一応、なぜ、そんなことになっているのかという弁解をしておくことにします。
 更新が遅れる第一の理由は、多忙です。忙しくて、ブログを書いているヒマがないというわけですが、やはり、弁護士として、一番大事なのは、今のクライアントの仕事を処理することですから、仕事に追われながらも、ブログを書くというわけにはいかないということです。
 その次の第二の理由は、これも当たり前のようですが、毎日ブログに書くほどにはネタがないということです。でも、本当のことを言うと、弁護士という仕事をしていると、ブログに書きたいようなネタには毎日のようにお目にかかっているのですが、弁護士が取り扱っていることについて、ブログのネタにしてしまえば守秘義務違反になってしまいます。先日、ブログで守秘義務違反をして懲戒となった弁護士さんがおられたようですが、お客さんのことをそのままブログに書くなんてとんでもないことです。弁護士さんの中には、今日は、こんな法律相談を受けたなどと平気でブログに書いている人がいるようですが、そんなことをしたら、弁護士に本当のことを話してくれる人はいなくなってしまうように思います。
 第三の理由として、弁護士が書くブログは、弁護士の事件処理の妨げになってはいけないということで、必然的にテーマ設定に制限がかかるということもあります。最近では、HPをみたというような相手方がいたり、相手方の弁護士から事務所のHPがチェックされていたりすることもあります。私自身も、相手方弁護士のHPはよくチェックしています。そんな中、自分のブログで相手方に自分の事件に対する考え方などを示したりしたらえらいことになってしまいます。ですから、私のブログの題材は、自分が関わった事件を直接書いているものはほとんどありませんし、あったとしても、完全に終わっているものだったり、抽象論にしてしまったりなどして、守秘義務違反などとの指摘を受けないように心がけています。
 第四の理由として、プライベートに関わることも書きにくいということもあります。弁護士さんの中には、今日は、こんなことがあったとか、家族でこんな話をしたとか、事務所で食事会とか旅行をしたとか書いている方もおられますが、弁護士という仕事は他人に恨まれたりすることが全くないわけではない仕事ですから、あまりプライベートなことを書いて、攻撃のネタにされてしまうのも避けねばならないと、私は考えています。
 そんなわけで、ブログを毎日更新することはかなり大変なことになってしまうわけですが、せっかく作ったブログですから、今後も、できるだけ時間をみつけて、書き込んでゆこうかなと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。

2009/04/03

時効制度の見直しについて

時効制度の問題点は、主に刑事事件で話題となっているようです。民事事件の時効は、民法に規定がありますが、刑事事件での時効ということでよく話題になっているのは、公訴時効という制度なので、刑事訴訟法に規程があります。刑法には、確定した刑の執行を免除する制度である刑の時効という規程がありますが(刑法第31条)、確定した刑の執行が行われないままになるようなことはまずないので、これが問題となることはほとんどありません。このため、マスコミなどで話題となることが多いのは、公訴時効という刑事訴訟法に規程のある制度となるわけです。
 この公訴時効の制度が設けられている趣旨は、時間の経過に伴って犯罪の社会的影響が薄れる傾向があるということに着目する考えと(実体法説)、時間の経過に伴って証拠が散逸することで審理が困難になるということに着目する考え(訴訟法説)があり、通説は、両方の側面があるとしています(折衷説)。犯人の法的地位の安定に考慮したものだという説(新訴訟法説)もでてきています。いずれにしても、結果的に利益を受けるのは犯罪を犯した人物ですから、公訴時効は社会正義に反する制度という側面を持っているわけで、犯罪の重大性に応じて時効期間が異なっているのは、このことに着目したものとも言えます。しかしながら、このような不正義を国が認めていることはおかしいということで、殺人事件などの重大犯罪については時効をなくすべきだとか、時効の期間を見直すべきだいう考えがでてきているわけです。
 元々、この法律ができたのは戦後まもなくのことですから、DNA鑑定など想像することすらできなかった時代の法律が今もなおそのままとなっているわけです。現行の刑事訴訟法が制定された頃は、刑事事件の証拠としては目撃証言などが重要なものだったということを考えると、昔のことを思い出しての証言だけで有罪無罪を決めていいのかということについて消極的な判断に至ったことにはそれなりの合理性があるように思います。しかし、科学的鑑定や防犯ビデオなどの記録機材が発達した今の時代にも同じことが言えるのかというと、そうでもないわけですし、殺人などの重大犯罪の抑制という見地からは、時効を延長することにも十分な理由があるように思います。
 それでもすんなりとは決まっていないのは、この時効制度が、警察などが捜査を打ち切るための理由づけになっていることがあるように思います。実際、新聞記事でも、見直しの慎重論の理由として、「捜査の人員の維持や資料の保管に限度を設けることを検討する必要がある」と捜査機関の負担が指摘されています。私が司法修習を受けているときも、塩漬けのようになっている長期未済事件について、時効を理由として起訴猶予とするということがあったと記憶しています。
 このため、この制度の改正は難しい問題となっているわけですが、私は、個人的には、時間だけで一律に時効が成立してしまうような制度だけを用意するのではなく、社会的な影響なども考慮して、時効の延長を個別に考慮するような制度もあっていいように思っています。要は、証拠の被害者側の心情や社会的影響などを個別に裁判所が審査して時効の延長の可否を判断するということもあっていいように思うのです。被害者側が時効延長を望まないということも延長の判断の要素として考慮することとなれば、今の時効制度の問題はかなり緩和されるように思うのです。
 なお、私は、民事事件の時効の制度も見直すべきではないかと考えているのですが、そのことは、別稿で述べるようにします。

2009/03/03

合格者を増やすことが逆に弊害を生むのでは?

日本弁護士連合会市民会議なるものがあるようです。
 この方々が、「司法制度改革実施後5年近くが経過した現在、当初の目論見を覆しかねない大きな問題が生じているように見受けられる。その第一は、新司法試験合格者数の伸び悩みであり、第二は、法科大学院における法曹養成教育の効果と成果についての疑問である。」と言われているようです。そして、「定員削減のみに重点を置いた施策は、学生や教員の不安を助長するだけでなく、かえって法科大学院の東京集中化を促進するだけではないかなど、極めて疑問が多いところである。」とし、「法学未修者の新司法試験合格率の著しい低下は、多様な人材の育成という、法科大学院の目玉ともされた目標に赤信号を点す危機的な事態であり、カリキュラムの編成や教育方法に根本的な問題のあることが伺える。」とも言われています。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/siminkaigi/data/youbousyo_6.pdf
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/shiminkaigi_a.html
 しかし、この話は、今の合格者数に比して既に社会的需要が追いついていないという現実を無視したものですし、急増の反面として、修習期間が短期化し、指導する弁護士にも不足が生じていて、実務に接する時間も限られてしまっているという司法修習の希薄化が急激に進行していることが忘れられています。合格するまでのハードルを下げた上に促成栽培が行われているということで、本当に質の維持が確保できるのかということは誰が考えても疑問に感じるところではないかと思います。しかも、供給過大に伴う就職難が、修習生を就職活動ばかりで疲れてしまうような事態に追い込み、修習に費やす時間がさらに削られているということもおわかりになっていないように思います。この実態は、修習生を身近に世話する立場にはない日弁連の理事者クラスでは知らない現実ですから、知らされていなくても当然かも知れませんが、修習環境はこの数年で大幅に変わっているのです。もはや、合格さえすれば何とかやってゆけるという時代ではなくなってしまったわけです。そのことによって、どんな問題が生じているのかということをまじめに訴えている人たちを十把一絡げに、司法改革の妨げであるかのごとく非難するのはおかしいのではないかと思います。
 また、未習者の合格者が減っていることについては、未習者≒転職組と考えた場合、未習者の就職が極めて厳しい状態に置かれていることが密接に関連しているように思います。合格しても就職がないような資格を目指して転職する人は少ないと思いますから、志願者が減るのは当然のことだと思うのです。皮肉なことに、いわゆる転職組であっても、この「司法改革」実施前の供給が少なかった時代では、就職は容易だったのですが、今では、転職組に年齢という壁が立ちはだかっています。世間では30代でも転職が難しく、40代だと絶望的と言われていますが、それが司法試験合格者にも当てはまる事態になっただけのことなのです。弁護士が数名という事務所がほとんどという中で、現職よりも年齢が高い人は雇いにくいという日本社会の現実が、弁護士事務所ではより顕著に働いていることになります。私が最近出会った転職組の修習生はいずれも優秀な人で、人材としても魅力的でしたが、就職がないということでかなり苦労されておられました。また、残念ながら、一般社会と同様、女性の就職も厳しい状態に陥っており、優秀な女性でも就職がなくて困っておられる方が多くなっています。女性差別発言をしないようにとの警告が日弁連から出回っているのが現実なのです。
 このような就職難の主な原因は、供給過剰にあるのですから、無意味な過剰供給は早急に改められる必要があるわけです。問題は、しごく単純な話なのです。医学部を卒業された方が医師試験に合格しても就職口がないということなど、医学部の受験生や学生は考えてもいないことだと思いますが、なぜ、弁護士だけが就職口もないのに、資格合格者を増やせと言われるのか、私には理解できません。
 ロースクールの学生にしてみれば、そんなことは事前に説明されていないということになるかも知れません。しかし、だからこそ、この現実は知ってもらう必要があるように私は思っています。合格したら、就職活動に追い回されることもなく普通に修習していたら就職先はみつかるし、年齢が高くても、女性であっても、その他のハンデがあっても就職口はあるというような程度には需給関係が調整されるべきだと思います。