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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2010/05/05

失火責任法はそろそろ改正した方がいいのでは?

 類焼で自分の家が焼けた場合、火事をおこした人が責任をとってくれるはずだと思っている方が多いのではないかと思います。しかし、日本には、失火責任法(正しくは、「失火ノ責任ニ関スル法律」)というものがあり、失火については、原則として不法行為にならないこととされていて、失火者に重大な過失があった場合には、例外的に損害賠償責任を負担することになっています。このため、日本では、類焼の場合に火事をおこした人に責任をとってもらうことはできないのが原則ということになっています。
 どんな場合が、重過失になるかというと、寝タバコなどの場合ということになっていますし、その立証も、個人情報保護などを理由にして、消防署や警察が調べた書類に接することが制限されていて、非常に難しくなっていますから、被害回復は、自分の火災保険に頼らざるを得ないというのが日本の実情です。
 この法律が作られた根拠は、日本には木造家屋が多いので、失火の類焼にまで不法行為になると、失火者に過大な責任を課すことになるからということのようです。しかし、私には、火事という重大な結果をもたらした人に過大な責任を負わすのが不当とは、そもそも思えません。また、火事の場合に類焼となることが多かったというのは立法当時の事情であって、建築基準法によって厳しい建築制限が課せられている現代建築にはそもそも妥当しないようにも思います。また、木造家屋が隣家と隙間なく建築されていたとしても、それをやめさせるようにすることが安全な町作りであって、木造家屋が隣家と隙間なく建築されているような危険な町並みが残っているから、火事をおこした人の責任はないようにしてあげましょうというのはおかしいように思います。このような法律が今の時代にも残されているのは、失火責任法というものを当たり前の制度として受け容れてきた法律家の責任のように思います。
 この法律をなくすことでどんな影響がでるのかということを考えてみた場合、確実に影響がでるのは、火災保険に類焼責任をカバーするような商品が必要となるということです。このため、保険料率などが大きく変わってくるかも知れません。しかし、類焼で自分の家が火事になった場合はカバーされているはずですから、全体としての保険料率が大きく変わることはないようにも思うのですが、私は、損害保険の設計には携わったことがないので、正確なことはわかりません。ただ、火災保険の商品構成の問題があるからと言って、火事を発生させた側が責任を負わないような制度が現代にも残っているのはおかしいように思います。

2010/04/22

貸与制と修習専念義務

新64期の修習生からは、修習生の生活費は、給費制として給料を支払って保障するのではなく、貸与制として生活資金を貸し与えることにすることが既定路線とされていますが、日弁連はこれに反対する方向で運動を開始しています。
 他方、修習生には、修習専念義務があるとされ、司法修習生に関する規則の第2条では、「司法修習生は、最高裁判所の許可を受けなければ、公務員となり、又は他の職業に就き、若しくは財産上の利益を目的とする業務を行うことができない。」とされています。このため、司法修習生がアルバイトをしていることがわかってしまったときには、罷免理由になるということとなっていました。
 問題は、貸与制が採用された後にも、この修習専念義務が維持されるのかということですが、上記の修習専念義務条項は削除されていないので、貸与制の採用後も修習専念義務は維持されるということになるようです。
 しかし、そうなると、修習生は、貸与された資金、つまり借金でしか生活を維持するしか方法がないことになります。私には、収入を得る方法を制限した中でのこのような一方的義務づけは経済的自由の侵害のように思えます。
 ところが、最高裁は、給費制と専念義務は直結する概念ではないとしているようです。具体的には、以下の2点を指摘しています。「一つは、修習専念義務の中身は何かということである。きちんと授業に出ることや兼職しないことなど一つ一つについて、給費制の場合と、貸与制の場合をそれぞれ検討していく必要があろう。もう一つは、修習専念義務はどこから生じてくるのか、ということである。修習専念義務は、法曹養成においては臨床課程を踏むべきであるということに淵源があり、それをきちんと支えるために、給費制とするのか貸与制とするのか、という関係にあり、給費制から修習専念義務が生じてくるのではない。」と言うのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/yousei/dai21/21gaiyou.html
 しかし、収入の道を閉ざされた修習生が借金漬になり、法曹となったスタートの段階で多額の借金を抱えているという状況は決して好ましいものではありません。そのように考えると、修習生が生活資金を得るためのアルバイトまで禁止するのは行き過ぎた規制のように思います。また、上記の最高裁の考えは、司法修習によって臨床課程を踏むことで技能が与えられることに着目しているように思えます。しかし、現状では、司法修習の終了は、法曹としての就職を保障するものではなくなっています。単なる資格の付与に過ぎないのが実情です。つまり、専念義務によって収入を得ることを制限する見返りが著しく軽いものになってしまっているわけです。かかる観点からしても、現行の合格者数を前提としながら給費制を廃して修習専念義務を維持することは不当なことのように思えてなりません。
 ただ、短期間に制限された修習期間の中で法曹としての知識経験を得ようとした場合には、事実上修習に専念しないと二回試験に合格できるようなレベルに到達することが難しいことも確かです。ですから、養成課程に関わる側が専念義務を維持したいという心情もわからないではありません。
 そう考えると、一番いい解決策は給費制の維持しかないように思います。給費制が維持されるよう、私も、微力ながらも、日弁連の提起する運動に参加してゆこうと思っています。

2010/04/21

新63期の就職状況について思うこと

今年は、東京で大手事務所が採用を抑制しているということを聞きます。このため、新63期の就職状況は、新62期と比較するとかなり厳しいものとなっています。京都の場合、就職先が確保できた人とできていない人の割合が昨年と比べると完全に逆転してしまっているようで、第3クールの中盤であるにも関わらず、就職先が確保できている人が圧倒的に少ないという状況になってしまっているようです。私としては、関係する人が就職できるように精一杯努力しているところですが、私のところに集まる情報も厳しいものが多くて、どうすることもできないというのが現状です。
 そのような中にロースクール関係者からでている合格者3千人堅持などという意見を目にすると、若者の人生をどう思っているのか疑問に思えてなりません。今、私がロースクール関係者にやってほしいと思っていることは、卒業生の進路相談に真剣につきあって一緒に就職先を探すことに尽力することです。資格さえ与えてやればいいということでは困るのです。

2010/04/19

長岡天満宮

せっかく長岡京に事務所を持ったということもありますから、長岡京市のことを少しご紹介しましょう。
 長岡京市は、平安京ができる前に平城京より遷都された都があったところです。この長岡京も、桓武天皇の時代に造営された都です。短命の都でした。この長岡京から名前をいただいた駅がJRの長岡京駅です。昔は、神足(こうたり)という名前でした。ちなみに、長岡京市にある阪急の駅は、長岡天神といいます。この駅は、長岡天満宮に一番近い駅ということですから、駅名も、長岡天満宮にちなんだ名前になったのだろうと思います。
 長岡天満宮は、菅原道真をお祭りしている神社です。道真公が九州に配流されたときに、お供をされた3人の方があり、その中に中小路宗則(むねのり)なる方がおられたのですが、このお別れのときに、道真公が自分の姿を彫った木像を贈られたということで、この木像をご神体として祀ったのが、長岡天満宮の始まりということのようです(出典:「長岡京市の史跡を訪ねて」)。現在の宮司さんも、中小路さんということですから、上記の中小路宗則のご子孫ということになるようです。
 道真公をお祭りしているので、長岡天神は、北野天満宮同様、学問の神様ということです。この長岡天神のそばには、村田製作所など京都のハイテク企業が集まっていますが、これも道真公のお導きかも知れません。我が事務所も、道真公にあやかって、法律に関する研究を怠りなきようにしたいと思っています。
 この長岡天満宮は、梅や桜の名所でもありますが、一番の名物はツツジです。4月24日と25日が献菓祭というお祭りが行われます。この頃が、ツツジの一番の見頃になります。ツツジは、カタカナ英語ではアゼリアということですが、我が事務所につながる大通が、まさにアゼリア通です。これは長岡天満宮と長岡京市役所を結んでいる通です。
 長岡京では、竹の子が特産です。日本一と言われています。この竹の子も今が旬で、長岡天神駅から長岡天満宮に続く道で農家の方が販売されています。
 というようなことで、ツツジを愛でつつも、竹の子もお土産にできるということで、4月24日と25日が長岡天神にお参りされる絶好の日ということになります。この頃に京都に観光に来られるのであれば、ぜひ長岡京まで足を伸ばされることをご検討ください。