2011/05/06
乙訓寺の牡丹
再び地元ネタ。
長岡京市、向日市、大山崎町を乙訓地区と呼ぶことが多くあります。私にとっては、人権擁護委員をしていた頃の乙訓人権擁護委員協議会の皆様方との触れあいから、この地域が乙訓地区と言われるのだということが記憶に刻まれています。
この乙訓という地域の呼名の語源となっているのであろう古寺が乙訓寺です。桓武天皇がおられた頃から、もう既に乙訓寺は長岡京の地にあったということですから、平安京よりも古いお寺ということになります。
乙訓寺は、牡丹が有名です。牡丹を撮ってきましたので、ご笑覧ください。
乙訓寺の中は、こんな感じです。和傘が立っていますが、これは、牡丹のために立てられています。
では、以下は、牡丹のオンパレードです。
黄色い牡丹は珍しいようです。黄色の牡丹は、なぜか小ぶりです。
近くの通りに、古くからあったであろう道標が残されていました。右は乙訓寺、左は柳谷と刻まれています。柳谷観音への道しるべということでしょうか。