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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2011/12/15

新64期の就職状況

新64期については、未登録者が404名となったとの連絡がありました。
合格者数は、1991名ということでしたので、未登録者の比率は、20.29%ということになります。
新63期は、未登録者は214名で、比率は11.0%ということでしたから、状況は急激に悪化していることが統計上も明らかということになります。
問題は、登録できた人の中にも、即独であったり、給与をもらうことができないノキ弁という厳しい就業環境に置かれた方も急増しているということが同時進行しているということです。
そもそも弁護士になれると言っても資格があるというだけで、就職先はなく、OJTの機会があまり与えられず、たとえ弁護士になれたとしても、就業環境としては数年前と比較しても格段に厳しいということでは、弁護士になりたいという人は激減して当然のように思います。
このままの状況が続くとどうなるのでしょうか。大変なことになってしまうのではないかと思えてなりません。

2011/11/22

瑠璃光院

久しぶりのブログ更新となります。
ブログのソフトがE9に対応していないということで、更新がやりにくくなっていたことと、司法修習委員会関係で多忙を極めているために、更新ができませんでした。
季節柄、今は、京都は紅葉のシーズンですから、穴場を紹介しておこうと思います。
ご紹介するのは、八瀨の瑠璃光院です。この建物は、有名な中村外二さんが建てられたものということです。お庭も大変きれいです。今ちょうど、一般公開されていますから、見学のチャンスです。報道ステーションで紹介されてから、訪れる方が増えているようです。アクセスも、叡山電車の八瀬比叡山口駅からすぐなので、便利です。京都バスの大原方面行バスもでもいけます。
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めずらしい灯籠です
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臥龍の滝
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紅葉が始まっています
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2011/10/23

こじあけるしかない

10月22日には、大阪の弁護士会館で、公設事務所や法テラスに向けての就職説明会が開かれました。この説明会には、偏在対策委員会の責任者が出席するのが筋なのでしょうが、人手不足もあって、私が出席して、京都弁護士会のブースで京都の就職事情を説明させてもらうことになりました。この説明会は、昔は東京でしか開催されていなかったのですが、そのときからすると、これで8回ほどは出席したことになるように思います。
時代を反映して、この説明会も様変わりしたように思いました。最初の頃は、修習生の参加も少なかったですし、公設事務所や協力事務所もほとんどなく、ましてや講師などにも来てもらいにくい状態でしたから、日弁連から各単位会に動員がかかっており、各地の単位会から法律相談センターの委員たちが参加して、単に地域を説明するだけでなく名産品を紹介するなど、弁護士が少ない地域にも修習生に関心を持ってもらうよう努力していました。ところが、就職状況の悪化と比例するように、修習生の数も多くなり、弁護士過疎の問題にはほとんど関心はないけれども、就職に関する情報を入手したいという意識で参加する人も多くなりました。他方で、ひまわり公設や法テラス事務所の設置も進んだ上に、弁護士人口が倍増するなどの人口急増単位会も増えたこともあって、弁護士会側としても、各地の名産品の紹介をしてまで修習生を勧誘するような意欲に欠けてきたように思います。最近では、法テラスでの仕事の内容とか勤務条件などの具体的な話の説明が主な役割となる一方、修習生の参加も減りました。実際、昨年は、京都弁護士会はブースすら設置できなかったようです。今年は、鳥取とか島根とかからの参加もなくなりました。修習生の参加は、ピーク時の半分近くになっているのではないかという実感でした。既に過疎地でも法律事務所の経営は楽なものではなくなっているという情報は、修習生の間にかなり広く出回っているように感じました。
京都でも、具体的な募集事務所はありませんから、誰も京都ブースには来ないのではないかと思っていましたが、幸いなことに、京都での修習予定者が来てくれましたので、京都修習や京都弁護士会における就職状況の説明をすることができました。
京都は、他の修習地と比較すると、まだ就職に関する成績はいい方であること、もはや弁護士会としても、どこが修習終了予定者を求めているとかいうことはわからないけれども、修習生側でがんばって就職先をみつけていることを説明させてもらいました。その中で、私が使った言葉が、就職するためには採用してくれるところを「こじあけるしかない」というものです。合格したばかりなのに、不安感が先立つ修習生に対して、このような言葉で説明するしかないということにもどかしさを感じつつも、今のうちから動くなど意欲のある修習生であれば、何とか就職先はみつけてくれるだろうと思って、今の厳しい現状やその中でも就職先が決まった運のいい人たちのお話とか、京都弁護士会の中での就職支援の活動などをお話させていただいたような次第です。高学歴の優秀な人材を相手に、ハローワークの相談員のような話をしなければならないということは、正直つらいところがありますが、後輩たちのためにやれるだけのことはやらないといけないだろうと思うのです。

2011/09/19

大文字山

愛宕山に続いて、大文字山に登ってみました。
大文字山の大文字は、京都の色々なところからみることができます。と言うことは、大文字山からは、京都市内が一望できるということになります。
学生時代には、仲間と夜に登って、夜景を楽しんだりしたことがありますが、大文字山からみた京都の夜景は、絶景です。ただ、全く電灯もない山道を歩かなければなりませんので、夜に大文字山に登ることは絶対にお奨めできません。
大文字山から西側をみた写真
手前の緑が吉田山、その向こうが御所、斜めに走る緑が鴨川、鴨川の手前の緑が糺の森と下鴨神社、その向こうの緑が植物園です。遠くに愛宕山がみえます。
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大文字山から南側をみた写真
火床がこのように並んでいます。手前は、鹿ヶ谷です。御所の向こうには、二条城がみえます。
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大文字の下から大文字山を見上げた写真
実際に上に登ってみると、大の字だということはわかりますが、傾斜に合わせた形で、しかも、市内からみて、きれいに大の字になるように火床が並べられていることがわかります。
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ちなみに、大文字山は、織田信長が入洛する前の足利義輝の時代まで如意ヶ岳城があったということです。その痕跡があるかなと思って登ったのですが、素人には、どこにその痕跡があるのかがわかりませんでした。
大文字山への登山口には、中尾城の跡という看板もありますが、その痕跡もよくわかりませんでした。
なお、銀閣寺の近くは、浄土寺という地名となっています。昔は、実際に、浄土寺という寺があったそうですが、足利義政が銀閣寺を建てる際に、相国寺付近に移されたということです。地名だけは、浄土寺として残ったということになります。
中尾城などのお城があったりしていたわけですから、足利時代には、この銀閣寺の付近が重要な拠点だったということのようです。逆に言うと、そのような重要拠点だったからこそ、銀閣寺が建立されたということかも知れません。これまでは、足利義政の隠居場として銀閣寺が建てられたのかと思っていたのですが、どうも違うのかも知れないなと思ったりしています。京都には、色々と発見することがまだまだありそうです。