2012/06/11
なぜヤブ医者はあってもヤブ弁はないのでしょうか
医者の世界では、ヤブ医者という社会的評価がありますが、幸いながら、ヤブ弁という言葉はまだ聞いたことがありません。しかし、私は、ヤブ弁という言葉がないのは、弁護士に依頼する機会が少ない人が多いがために、複数の人が一致して、あの弁護士はよくないという評価をすることがないということから、用語として広まらないということに過ぎないのであって、弁護士の質の差は、かなり広がっているように思えてなりません。弁護士と接したことのない方からすれば、弁護士である限り、誰に頼んでも同じでないと困るということではないかと思いますが、現実は、そうではないと思うのです。
テレビで宣伝していたらいい事務所なのかということを聞かれることがありますが、実際には、債務整理や過払金に関する知識に差がある程度であって、広く宣伝している事務所が、一般事件の処理で優れているということではありません。弁護士の中では、あまり宣伝されていないところの方が評価が高いことが多いのです。
弁護士のことを知らないということについては、法科大学院生のような法律家の入り口に立った人でも同じことのように思います。法学部の教授ですら、弁護士の評価はできていないのだろうと思います。修習生ですら、自分の指導担当弁護士のことぐらいしか正確にはわからないのが実態でしょう。
今のところ、弁護士の評価は、弁護士や裁判官、検察官、あるいは裁判所書記官ぐらいしかできないというのが現状だと思います。このため、弁護士の中では、同業者から低い評価を受けないようにしようという意識はまだまだ高いように思います。そのためには、日々切磋琢磨せねばなりません。ただ、その努力が法律家以外の人にわかるかというと、あまりわからない、結局は、頼んだ弁護士がたまたまいい人でよかったという偶然に左右されることが多くなってしまうというのが現実ではないかと思います。
結局のところ、何度か弁護士と関わったことのある人に尋ねるか、弁護士に尋ねるかしか、弁護士の評価を知ることは難しいということになってしまっているように思います。
私の事務所では、複数の弁護士事務所に関わられた方からいい評価を受けること、個々のお客様に満足していただけるよう心がけています。他の弁護士と比較して厳しい評価を受けるような場合には、その理由は聞かせていただいて、反省材料にさせていただくようにもしています。偶然とはいえ、たまたま私の事務所に来ていただいた方に、いい弁護士にあたってよかったと言われることは、何よりもうれしいことです。
ただ、弁護士を選ぶにあたって当たり外れが問題となるよりは、均等に高い品質の弁護士が社会に供給されるような法曹養成制度を社会は望んでいるのではないでしょうか。法曹養成問題を考えるにあたっては、そのような視点も必要ではないかと思います。