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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2012/08/25

サマークラークを終えました

8月24日で2012年のサマークラークを終了しました。
いい人が参加してくれたと思います。期待はずれの人は1人もいませんでした。修習生指導とは違って、自分で採否を決めた人に来てもらうということですから、優秀な人が集まるのは当然のことなのかも知れませんが。
私のところのサマークラークは、大事務所とは異なり、セレクト情報の収集作業ということではなく、弁護士という職業の具体的イメージを持ってもらうことも視野に入れて実施したつもりですから、参加者もそれなりに満足していただいているようですし、就職活動に対する心構えなども徹底指導しましたので、他のサマクラではあり得ない知識を得られた方もおられるのではないかと思っています(なぜお金を払ってそんなことをしているのだろうと思ったこともありますが、これも何かの縁だと思っています。)。私にとっても、懸案の法律問題に関する資料や判例などをきれいに整理していただいたし、何よりも、意欲のある若い人との結びつきができたということで、大変有益なサマークラークでした。
ところで、研修生からの情報ですと、東京や大阪の大事務所では、サマークラークの結果を受けて、既に内定がでていると聞きましたが、私は、司法試験の結果もでていないごく一部の人達を、学歴やロースクールの成績で選別してサマークラークに呼び入れて、その結果だけで内定をだすということが理解できません。うちのような事務所では、人を採用するにあたっては、色々な人の意見を聞いて慎重に採用するかどうかを決めますから、修習も始まっていないような段階で、採用を決めるようなことは絶対にありません。
ただ、よく考えてみますと、東京や大阪の大事務所に入ろうと思えば、有名な大学をでて、実績のある法科大学院に入り、そこでいい成績を修めればよいということで、ある程度パターン化できることになりますから、就職としてはある意味簡単なところもあるということになります。そのことに比べると、東京大阪ではなく、各地にある一般的な弁護士事務所にノキ弁などでなく正規に採用されることの方が、数十倍も難しいという時代になってきたということなのかも知れません。弁護士の就職事情は、1年単位で大きく変化していますから、来期がどうなるかは正確には予想できませんが、修習生側だけでなく、弁護士事務所側も先を読んだ対応が求められる時代になってきたということだけは確かなことだろうと思っています。

2012/08/23

法曹養成制度検討会議のメンバーには失望しました

法科大学院制度が当初から制度的名欠陥を持った制度であったということは、既に実証されています。就職先がみつからないまま研修に専念することだけを求められ、働きに応じた給料すらもらえないという修習生の置かれた深刻な状況をみる度に、このような制度を創設した人達の社会的かつ道義的責任の重大さを痛感しているところです。
この法科大学院の問題を含めた法曹養成制度について議論されることになる有識者会議(正式名称は、「法曹養成制度検討会議」)というものが、どのようなメンバーによって構成されるかと期待して注目していたのですが、あの法曹養成フォーラムとほとんど同じメンバーということのようなので、大いに失望しました。
法曹養成フォーラムの委員のほとんどは、修習生の就職難やOJT機会の喪失とか、新任の法曹の能力低下やそれに伴って市民がどのような迷惑を被るかなどの現実を調査したり分析したりすることもしないままに、理念だけを振りかざしたり、弁護士を増やしさえすれば社会がよくなるかのごとき妄想に凝り固まった議論をされていました。現実を直視してまともな議論をされていたのは、経営者側の代表の方ぐらいではなかったかと思います。特に今回の委員選任で問題なことは、この問題の当事者である法科大学院側のメンバーが、オブザーバーではなく委員として入り込んでいることです。とんでもないことだと思います。
法曹養成フォーラムの議論と比較すれば、総務省の分析は、実態調査に基づいたものですから、はるかに説得力がありました。破綻に近い現状にある日本の国家予算の効率的運用という観点からは、試験に合格した修習生の給費制を廃止しながら、まだ試験に合格するかどうかもわからないような法科大学院に財政支援をするということは、国費の運用としては極めて効率が悪いということだと思います。このことに目をつむって、法科大学院に財政的支援を続けることは、背任的な行為と言っても過言ではないと思います。ましてや、このような制度を擁護することに熱心な人物をメンバーにすえるということでは、まともな議論は期待できないと思います。
今行われるべきことは、修習生や法科大学院生からのヒヤリングでしょう。これらの方々のご両親や配偶者などからのヒヤリングも行われてしかるべきだと思います。弁護士になったばかりの方も発言の機会が与えられるべきでしょうし、修習生をサポートしている修習指導担当弁護士などからのヒヤリングもぜひとも行ってほしいと思います。実態調査なくして、正しい対策が立てられるはずがないことは自明です。行政側がこのような人選しかできないのであれば、国会などで委員選任の過程などを厳しく追及していただくしかないように思います。
なお、法科大学院は、元々採算が合わない学校ですから(少人数の学生に対して、高度な専門的知識を持った人たちが個別指導をする必要がある上、図書室など学習のための施設を用意しなければならないためです。)、出願者が減って在籍者も減り、国からの補助金も削減されるということになれば、大学の運営の重荷になることは必至です。だからこそ、撤退するところがでてきているということでしょうが、このまま事態を放置すれば、著名な大学の法科大学院ですら定員割ということになるものと思います。そのうち、法科大学院の設置を推進してきた人たちに対する大学内部での責任追及が始まっても、おかしくないと思います。合衆国では、ロースクールに対して学生から訴訟も提起されているということですから、日本でも同様の事態が生じて、法科大学院が被告となることもあるかも知れません。本人訴訟できるぐらいの勉強はされているでしょうから、弁護士費用を考えて訴訟を躊躇する人はいないはずです。そんな事態を招くような卒業生を小馬鹿にした挑発的な議論ではなく、学生や保護者の置かれている立場に配慮した議論が行われることを期待しています(会議の結論はみえていて、成果には全く期待はしていないのですが、暴動がおきてもおかしくない状況となっていることは自覚してほしいと思います。)。

2012/07/24

OJT以前の問題が発生しつつあるようです

OJTとは、オンザジョブトレーニングのことを意味しています。実務体験を積みながら、仕事を覚えていくということで、最近では、弁護士の即独という問題に絡んで、その重要性が指摘されています。
司法修習生をお預かりして指導してゆくときに、今の状態で明日から弁護士としてやってゆけるかということを尋ねることがよくありますが、ほとんどの修習生は全く自信がないと答えます。弁護士業務には、細かなノウハウがありますし、特に大事なことは、この事件でどの程度の着手金とか報酬をもらうべきかという営業上の問題もあることから、弁護修習で実務に触れると、明日からこの仕事をやってゆけるかというと自信など持てないということになってしまうわけです。この点、現在の弁護実務修習は2か月しかありませんから、この2か月の間で、OJTと言えるほどの実務経験を積むことは不可能です。必然、弁護士事務所に就職してからのOJTが大事ということになってきます。
ところが、需要を無視した大量供給が続けられているために、残念ながら、弁護士事務所での雇用に恵まれず、最初から独立開業する人が増えているわけですが(これを即独と呼ぶことが多くなっています。)、このような方々は、実務上の指導を受ける機会がないため、自力で仕事を覚えなければならなくなります。これが、果たして国民にとって喜ばしいことなのかというと、私は、大いに疑問に思っています。手探りで仕事をしているような弁護士へ仕事を依頼することは、依頼者からすれば、不安の方が強くなると思いますし、無駄な訴訟を提起したりとか、手続上のミスがあったりすれば、被害すら発生しかねません。
このように即独はあまり好ましいことではないと私は思っていますので、修習生には、即独は勧めないようにしています。
ところが、先日、他の弁護士から耳にした話によると、以下のような事例も発生しているようです。
まず、委任状が委任状の形式を満たしておらず、白紙の用紙に委任状として、名前と住所が記載されているだけで、委任事項が全く欠落している書類を委任状として裁判所に提出している弁護士がいる(これでは、訴訟委任を受けたことにならないと思います。)。後遺症12級の交通事故事案で6千万円もの請求をしてくる弁護士がいる(12級だと慰謝料は224万円で労働能力の喪失割合は14%なので、6千万円の請求は明らかに過大です。印紙代は請求額に応じて高くなりますし、弁護士費用も増えますから、過大請求は弁護士倫理上、大いに問題があります。)。訴状で、請求の趣旨を申立の趣旨と記載し、請求の原因を申立の理由と書き、明渡請求事件の付帯請求につき明渡の原因とは別個の請求原因を書いている弁護士がいる。
私が実際に経験した相談では、区役所で離婚のことで法律相談を受けて、養育費の相場を尋ねたけれども「相場はわからないから、弁護士に聞いてくれ」と相談している弁護士から言われたので、今回先生のところで相談を受けることにしたという笑い話のような本当の話があります(京都では、弁護士会と京都市との協議に基づいて、養育費の相場がわかる資料が各区役所に備え付けてありますから、それをみれば簡単にわかったはずです。)。
これらの弁護士が即独の方ばかりかというと、そうでもないのかも知れませんが、これは、もはやOJT以前の問題であって、弁護士としての基本的資質を疑いたくなります。このような方々を弁護士として認めることが果たしていいことなのかということは大いに疑問です。法科大学院という制度を経た法曹養成制度には根本的な欠陥があるのではないかと思えてなりません。法科大学院でも、卒業生がどのような仕事をしているのか、ぜひリサーチしていただき、そのリサーチを踏まえた上で、できれば即独も可能となるほどの実力を持った法律家の卵を養成して、司法修習に送り出すというぐらいの学習指導体制を構築していただきたいと思います。
もし、そんなことはできないというのであれば、法科大学院には、法曹養成の現場から退いていただくしかないと思います。

2012/07/18

弁護士過疎地域に法科大学院が必要なのでしょうか

弁護士過疎地域に法科大学院が必要だという意見がかなり強く主張されていて、この意見を支持される方も多いようですが、私は、賛成できません。弁護士過疎地域には、法科大学院を設置するよりも、エクスターンシップなどで、実際に弁護士事務所での職務体験を積む経験をする機会を増やすことと、そのような地域でのエクスターンシップへの経済的援助を強化することがより効果的だと思います。極端な話をすれば、たとえ法科大学院がなくなったとしても、過疎地域での実務修習を可能にするなどすれば、それで足りると思います。
そもそもゼロワン地域の解消を象徴とする弁護士過疎偏在対策の成果は、過疎地に設置された法科大学院によるものではありません。ゼロワン地域の解消は、法科大学院出身者が弁護士になる前にほぼ完了しつつありましたし、実際に、いわゆるゼロワン地域などの弁護士過疎地域に赴任した方々は、弁護士過疎地出身者の方ばかりということではなく、当該地域とは全く縁もゆかりもない方がかなり多く、過疎地の法科大学院出身者ではない人の方が多いはずです。従って、過疎地に法科大学院を設置すれば、弁護士過疎偏在対策に効果的だということは、何らの実証的裏づけもない考えだと思います。
また、弁護士の過疎偏在地域は、全国各地にあったわけですし、都市部の近郊でも、弁護士事務所がない地域は沢山あります(但し、そのような地域全てに弁護士事務所が必要だと、私が思っているわけではありませんので、誤解されませんよう。)。このため、弁護士過疎地域に法科大学院を設置したとしても、なぜ、当該地域だけに設置するのかという問題が生じることになります。この問題は、例えば鳥取県に法科大学院を設置したとして、この法科大学院の出身者が北海道の弁護士過疎地域に赴任することがなぜ期待できるのかという根本的な疑問に答えることができないのではないかと思うのです。また、法科大学院として人材を育成しようと考えた場合、最低でも20名は学生を確保する必要があると思いますが、他方で、弁護士過疎地域は元々弁護士の雇用需要が少ない地域であることは否定できませんから、上記のように例えば鳥取県に法科大学院があったとして、学生の数に相当するような20名ほどの弁護士の雇用需要があるとは到底思えません。つまり、弁護士過疎地域に法科大学院を設置しても、当該地域だけでは雇用できないという問題が生じることも充分あり得ることになります。
このように考えると、弁護士過疎地域に法科大学院を設置しなければならないという考えに合理的な裏づけはないということは、おわかりいただけるはずです。
私は、弁護士過疎地域に弁護士が増えるようになった最大の原因は、過疎地域に設置された法律相談センターによって、当該地域における弁護士への需要を実感できる弁護士が増えたことと、当該地域での法律相談その他の弁護士事務を実体験できる弁護士が増えたことにあると考えています。実際に公設事務所などに派遣された方は、このような経験を積んだ方がほとんどだと思います。つまり、大事なことは、弁護士過疎地で法律の勉強をすることではなく、過疎地での法律実務に触れる経験が増えることなのです。そう考えると、弁護士過疎地域への赴任者を増やそうとすれば、過疎地での修習に経済的援助をすることが最も効果的ということはおわかりいただけると思います。
また、司法修習における給費制の廃止など、法科大学院に要する予算によって、司法修習という法曹養成の根幹にしわ寄せが来ている中、あえて過疎地域に法科大学院を設置するということが、国家予算の運用として果たして妥当なことかということも問題です。国税が使われている以上、効率的な運用が行われるべきことは、国民的要請だと思いますが、過疎地に法科大学院を設置するということは、上記のような問題がある以上、国家予算の効率的な運用という要請には応えていないと思うのです。これに対し、過疎地での修習やエクスターンへの援助であれば、法科大学院を設置する予算の数%で(%にすらならないかも)予算としては充分過ぎることになります。
なお、医師の場合、ほとんどの都道府県に医科大学が設置されているという状況がありますが、残念ながら、現在の日本では、全国に法科大学院を設置するほどの需要がないことは、現状でも撤退する法科大学院がでてきていることから、既に実証されています。日本の医師の数は、約28万人であるのに対し、弁護士は急増による弊害が指摘されている中でも3万2千人に過ぎません(但し、国際的な統計比較という観点からは、司法書士や税理士、行政書士を加えて比較する必要があるということに注意は必要ですが。)。社会的な需要という観点からすれば、医師と弁護士では、1桁違うわけです。これを同列に考えるのは、弁護士は何をうぬぼれているのかという社会的非難を受けるように思えてなりません。ちなみに、医師会では、医師不足という側面があることは認めながらも、教育の質などを考えると大学の新設などは認めるべきではないという立場を採っています。日弁連と比較すると、日本医師会の方が、国民に責任のある提言をしているように思えてなりません。
また、私は、ゼロワン地域が解消された以上、もはや弁護士過疎偏在問題は、一つの山は越えていると考えています。弁護士過疎偏在問題は、今や、派遣者の確保の問題ではなく、いかに赴任者の定着を図るかが大事な時期に来ていると思うのです。赴任者の定着が大事だということであれば、過疎地に今以上の弁護士を送り込むことが果たして正しいことなのかということも考える時期に来ていると思います。そういう意味でも、弁護士過疎地域に法科大学院を設置するということをことさらに強調する必要性がどこにあるのだろうかと思うわけです。