2015/12/31
法科大学院と司法試験の合格率などについて整理してみた
1.はじめに
法科大学院という制度と司法試験の合格率について最近考えていることがあるので、ブログで述べておくこととする。なお、以下は、法科大学院という制度が存続していることを前提として考えたことを述べるものである。そもそもこれだけ失敗が明らかになってしまった制度を維持するのかどうかということがそもそも問題とされるべき時期に来ていると言ってもおかしくない状況にあるとも思うが、これまでの議論に混乱があると思われるので、問題点の整理をした方が、廃止論を言われる方にとっても問題がわかりやすくなるのではないかと考えて、あえてブログで発表する次第である。
2.司法試験は職業選択のための資格試験であることを忘れてはならない
まず、そもそも司法試験が資格試験である以上、その資格を利用した職業の安定性が最も重要なものとなるのであって、合格しても安定した仕事ができるかどうかがわからないということでは、その魅力は大きく減退することになる。この当たり前のことはなぜか軽視されているように思える。法科大学院の受験生が減少しているのは、資格試験としての魅力の減退の反映であって、司法試験の合格率が低いことが原因ではない。法科大学院制度が導入される前の司法試験の合格率が極めて低いものであったにも関わらず、数多くの受験生があったということに目をつむることは許されない。大学医学部の偏差値の高さ、つまり、受験競争の厳しさは、単に医師が聖職であるということだけではなく、大学卒業が資格取得に密接に関連しており、医師に職業的安定があるということは否定できないはずである。
3.資格を要する職業選択にあたって、必要とされる費用や時間は重要な要素である
また、資格試験は、その資格取得までに要する費用や時間も、その取得動機に大きく影響を与えるところ、法科大学院制度の導入は、この費用や時間を大きく増大させることとなり、志望者を減らす方向に作用する結果を招いた。逆に言えば、その費用や時間を減らすことのできる予備試験に受験生が流れることは、当然の結果である。予備試験の受験生を非難することは、本末転倒の議論であって、制度に欠陥があることを反省し、その是正を真摯に検討することこそが行われるべきなのである。なお、刑事司法という国家権力の行使に関わる以上、研修は不可避であるから、司法修習は司法権にとって必要不可欠な制度である。また、法の公平な運営という観点や現実的な収容能力からしても、司法修習生の全国的な配置も不可避であるから、従来は、給費制によって司法修習生の負担軽減が図られていたものが、国家的に義務づけた研修に経済的支援をしないという憲法違反の疑いのある貸与制に移行したことによって、資格取得に要する費用の著しい増加をもたらした。このことも法曹志願者の激減につながっているわけであるから、法曹志願者の急減への是正対策としても、司法修習への経済的支援の見直しが急務となっている。
4.合格率が高ければ、選抜能力が低くなるということが忘れられてはいないか
ところで、合格率が高いということは、受験生の数に比して多くの者が合格するということであり、一般的には簡単な試験ということを意味するし、優秀な人材を選択するという機能が乏しいことも意味することになる。法科大学院制度の導入の際には、合格率が高くなるというキャッチフレーズがよく使用されたが、これは、法科大学院で厳しい選抜が行われた上で、その選抜をくぐり抜けた受験生が司法試験を受験するという前提があったはずである。しかし、実際には、沢山の法科大学院が設立されて、多くの学生、すなわち将来の司法試験受験生が生み出されたわけで、司法試験の合格率は必然的に低くなった。法科大学院の卒業生の司法試験合格率を高めるということを一種の制度目標と考えていたとするのであれば、法科大学院の濫立と学生数の増大は制度上の設計ミスと言えよう。ただ、法科大学院の濫立と学生数の増大は、その時点でまだ受験生の側に司法試験を受験したいという希望者が多くあったということに大学側が応えようとしたということでもある。合格率を高めるというキャッチフレーズは、法科大学院に学生を集めようとするために作られたものであるに過ぎず、優秀な人材の確保という試験として当然の機能を確保するためには、司法試験の合格率は低く抑え続けるべきであって、合格率を人為的に高める操作、すなわち合格者数を増加させるような操作をする必要はなかったはずである。むしろ、弁護士の就職難が顕在化した時点では、需給予測を誤ったものとして、司法試験の合格者数を削減して、さらに合格率を下げて資格試験としての価値を維持することが臨機応変に行われるべきだったのである。
5.司法試験の合格率の低さを問題とするのは、法科大学院の責任転嫁である
しかるに、志望者の激減の理由として法科大学院関係者からは司法試験の合格率を問題とすることがあったように思われる。しかし、この言い分は、個々の法科大学院が自らの努力で他よりもよい成績を獲得するよう努力すべきだったものを、法科大学院全般につき合格率を上げるということによって試験そのものを易しくしてしまう、つまり、その合格の価値を下げてしまうことを求めるという自己矛盾を内包するものであった。しかも、法科大学院の卒業生が輩出される頃には、司法試験合格者の就職難が厳しいものとなり、資格としての魅力が大きく減退することとなって、法科大学院の受験生そのものが大きく減少することとなった。その結果、法科大学院の受験倍率は大きく低下することとなり、法科大学院の入学時点における選抜機能はさらに減退してしまうこととなった。
6.予備試験の受験者の増加は、法科大学院の選抜機能低下が影響しているところもある
法科大学院の選抜機能が低下したことは、予備試験というバイパスを通過した者との競争力の低下につながり、予備試験の合格者の方が司法試験の合格率が高いという現象となって現れたことで、受験生が予備試験に流れるという傾向に拍車をかけて、予備試験受験生は一時期増加することにつながった。しかし、これは一時的な現象に過ぎず、総体としての司法試験が資格試験としての魅力を失わせるにつれて、予備試験の受験者数も減少に転じているというのが、現状である。
7.司法試験の資格試験としての魅力の回復のためには合格者を減少させるべきである
よって、緊急に行うべきことは、司法試験の資格試験としての魅力の回復であり、そのためには、短期的な対処として、司法試験合格者数を減少させ、資格取得後には就職問題はないということを示すことがまず第一に行われるべきである。受験生、すなわち法曹志願者は、資格としての魅力があれば、受験を考えるが、そもそも資格としての魅力がなければ受験そのものを選択肢からは外してしまう。まずは、魅力を回復して、選択肢の一つとして考えてもらうようにすることが優先されるべきである。
8.法曹の仕事の拡大は長期的な目標として掲げるべきもので、特効薬ではない
法曹志願者の減少を食い止めるための長期的な対策としては、法曹の仕事の拡大も目指さねばならないことではあるが、裁判官や検察官の仕事の拡大は、必然的に法律改正や国家予算の獲得を要することから急激な増大の目処は全くないし、弁護士の仕事領域の拡大は、これまで再三にわたってスローガンとして叫ばれたものの、訴訟件数の減少に端的にみられるように、その拡大は遅々として進んでいないし、法律改正などがなければ実効性を伴わないものが多いため、まだまだ時間を要することは明らかである。従って、仕事領域の拡大をスローガンとして叫んだところで、実際に就職問題が残存する限り、司法試験受験生の回復にはつながらない。
この問題解決は、急を要することであって、資格として魅力のないものであるということが社会的に定着してしまえば、その評価の回復は容易なことではない。司法界が人材確保に失敗することになって不祥事が生じるようなことになれば、さらに職業としての魅力が失われるというスパイラル現象が生じるであろう。そのようなことになる前に、早急な対策が必要なのであって、長期的な対策を検討している余地は残されていない。
9.合格率が低い法科大学院に退場を促しても、法曹志願者の減少は止められない
なお、最近文科省が厳しく行っている合格率が低い法科大学院への援助の削減は、制度上の問題の改善にはならない。目指す試験の合格率が低い学校は、受験生の支持を得られないので自然に淘汰されるものである。合格率が低い法科大学院に撤退を促すことは、一部の法科大学院による学生の寡占化を招きかねないが、その結果として、法科大学院に入学する時点では成績があまりよくなかった学生が法科大学院で成績を伸ばして最終合格に至る道を大きく制限することになり、多様な人材が司法を目指しにくくなり、かえって有害である。また、人口過疎地に法科大学院を設置したとしても、人口過疎地に弁護士を誘導する効果はほとんどないということではあるが、関東や関西だけにしか法科大学院がないという事態は、地方から法曹界を目指す学生の獲得にとってあまり好ましいことではないところ、上記のような厳しい指導が続く限り、関東や関西だけにしか法科大学院がないという事態も招来しかねない。よって、現在のような過度な撤退指導は直ちに中止されるべきものと考える。このような誘導がなくても、現状の志願者減が続く限り、撤退校は増えるばかりということになるのであって、多様な法科大学院が維持されるためにはむしろその支援を厚くすることが求められていると言っても過言ではないように思われる。ただ、その政策転換のためには、司法試験の合格者は直ちに減らして、志願者減に歯止めをかけることが前提となる。そのような前提なしの支援は国家予算の無駄遣いと非難を受けることになろう。
法科大学院への指導は、受験生が多かった時代にこそ行われるべきであったが、それは、合格率を物差しとするものであってはならなかったはずである。合格率が低い法科大学院は受験生が集まらないから自然淘汰されたはずだからである。教育の充実度、特に、法律系の基礎を教えるような科目で趣味的な教育が行われていないかとか、実務教育がどれだけ充実できているかというようなことが重視されるべきであった。この視点は、受験生が激減している中でも重視されるべきであって、合格率至上主義は国による強制退場ということになってしまっている点で、大学の自治への過剰干渉と非難されても仕方がないように思う。日弁連がこれに加担するようなことがないことを願うものである。