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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2008/11/04

任意後見制度の改善すべき点

私は、弁護士の中では任意後見の制度に接する機会が多い方に属するのだろうと思います。この経験から言うと、任意後見制度は、利用者にとって不便な制度になっているように思います。
 まず、第1に全ての場合に任意後見監督人を選任することが求められている点は、問題があるように思います。ほとんどの場合、弁護士などの有資格者が後見監督人になっているものと思いますが、その報酬の負担が利用者に求められることになります。資産がある人だけが利用すればよいということなのかも知れませんが、資産としてはそれほど多くのものはないけれども身寄りもなく身近な人に任意後見人を頼めないというような人も数多くおられます。その方が弁護士を任意後見人に選んだとすれば、後見人への報酬が負担となるだけでなく、さらに後見監督人への報酬まで負担せねばならなくなります。これでは、利用者にとっての負担が大きくなり過ぎていると思います。また、後見監督人の選任権者は家庭裁判所ですから、裁判所への申立も必要となり、手間や時間も余計にかかります。私は、弁護士が任意後見人になっている場合には、特に問題があるような場合を除いて、後見監督人は不要とするべきではないかと思います。家庭裁判所への報告義務だけを残せば問題事例が発生する可能性はほとんどないと思うからです。後見監督人を必要条件とされているのは、不祥事の発生を心配されているのかも知れませんが、破産手続も破産裁判所の後見的機能に期待して、かなり簡略化されたわけですが、破産管財人の不祥事は発生していないということを考えると、杞憂ではないかと思います。
 また、身内を任意後見人にして後見監督人は知り合いの弁護士に頼みたいという人もいるはずですが、現状では、後見監督人に対する選任は家庭裁判所の専権となっているので、本人が頼みたい人が後見監督人に選ばれるとは限らないことになっています。身内を任意後見人にして、後見監督人は知り合いの弁護士に頼むということが許されれば、利用者の経済的負担は軽くなるはずですが、これが許されないというのも、この制度が考え出された趣旨には反しているように思います。
 制度的にみてまったくおかしいと思うところは、任意後見手続中は、被後見人の意思能力は失われていないはずであるにも関わらず、これが全く失われているかのごとき扱いとなってしまう点です。例えば、後見監督人が選任された後は、財産目録の訂正ができません。一度解任してもらって再度契約を締結し直すことから始めなければならないことになっています。被後見人の能力に問題があるからということによるようです。しかるに、被後見人の資産は、任意後見人が選任されて資産調査をしたことで新たに発見されることもあるのですから、その訂正が後にできないということでは不便極まりないと思います。
 それから、任意後見開始前、つまり、公正証書は作成したけれども、まだ、後見監督人は選任されていないような場合、金融機関は、本人でないと各種の手続をさせないような対応をすることが一般的です。公正証書に、任意後見手続開始前に関する委任権限が記載されていても、全く無視されることが多いのです。結果的に、ご本人に窓口にいってもらうなどのこともせねばならなくなることもあり、これでは、何のために任意後見を依頼したのかわからないということになりますし、財産目録の作成等の事前準備にも支障を来すことになります。家庭裁判所は銀行協会などと協議して、この制度について周知徹底するように働きかけてほしいと思います。
 以上、ブログで公表できるだけでもいくつかの問題点がわかってきています。当然ながら、公表しにくい問題もありますし、事務所としていくつかの独自のノウハウも得られてきています。やってみての感想は、この手続は、やはり弁護士に頼んでやられた方がいいということです。素人には難しい手続であることは間違いありません。それがこの制度を作るときに予定されていたことなのかというと、甚だ疑問ですが、現実は、弁護士に依頼してやった方がいいという状態となっていることは否めないと思います。

2008/11/02

ロースクールは、卒業生の就職の世話をするべきではないか

11月2日現在、新62期は、まだ修習が開始されていないのだが、既に就職戦線は始まっている。私が何度か発言しているように、司法修習生の就職状況は、毎年厳しくなる一方となっているが、62期は特に厳しいように思える。
 10月18日には、大阪弁護士会館にて、新旧62期(但し、新62期の場合は修習予定者)向けに、ひまわり公設事務所や法テラスに関する説明会が開催されたが、そこでは、法律事務所の就職に関する一般的な説明も行われた。これは、例年日弁連会館で開催されていたものであるが、今年からは、修習生や修習予定者の負担を考慮して、大阪弁護士会館でも開催されることになったのである。京都弁護士会もブースを設置することとなり、私が説明担当者として出席した。私がひまわり公設に詳しいことと、ほぼ毎年のようにこの説明会には出席していたということから、出席することになったものである。
 この説明会は、全体では140名ほどの修習予定者が参加されていたようであるが、そのうち約40名ほどが京都ブースを訪問された。そのほとんどは、ひわまり公設の希望者というよりは、京都市内での就職の状況についての情報を入手したい人たちであった。ところが、京都での採用予定事務所は2つしかない状態で、修習予定者には誠に気の毒な状態となってしまった。私としては、採用する側からの就職に関するアドバイスをできる限り具体的にさせていただいたのであるが、せっかく合格したばかりの人たちに対して、就職先がみつからない状態を説明することは非常に心苦しいものがあった。なお、滋賀県や和歌山県は、参加そのものをとりやめてしまっていたから、私が何度か指摘させていただいたように、都市部ではない地域の就職戦線が急激に厳しくなっていることが裏付けられてしまっていた。
 実際、61期の就職でも、修習指導係が何人も話して無理矢理に採用してもらったような人もいるぐらいなので、京都では62期を採用するところがどこにあるのかなという感じが、私の実感である。
 ところで、修習生の就職について一番努力しているのは、何よりも修習委員たる弁護士であるというのは間違いないところである。上記の説明会などもその一環といえる。この点が、大学生の就職と違うところである。大学生の就職については、大学は就職課を設置するなどしてかなり努力しているように思えるが、ロースクールは、卒業生の就職については全く何の努力もしていないというのが実態ではないかと思われる。元々、司法修習生の就職について大学が何らかの援助をするということはなかったが、それは、就職なぞ心配する必要がない状態が続いていたこともあるだけでなく、就職については司法研修所に任せきりになっていたというところが大きいようにも思える。ましてや、ロースクールは卒業後に司法試験を受けることになるので、在学中に就職問題が発生することがない上、司法研修所というクッションがあるだけに、就職のことについては全く無関心でいられるわけである。司法試験に合格させればそれで自分の役割はおしまいと考えているようにも思えるほどである。
 しかし、実際に就職もできないようなことであれば、誰も試験を受けないのではないかと思うので、就職のことに無関心なままに学生だけを集めようとしているロースクールは学生に対して背信的な行為を行っているように思えてきた。無知な学生に事実を伝えていないとすれば、消費者被害事件という側面があるようにも思えてくる。そもそも、就職状況を知った上で、進路指導をするのが、職業人養成機関であるロースクールとしての当然の務めであろう。そして、そのことを自覚すれば、ロースクール関係者からの「合格者だけ増やせばよい」というような無責任な発言は少なくなるのではないかと思う。ロースクール関係者は、修習生の就職問題について、もっと自覚をもって真剣に取り組むべきである。

2008/10/23

神社の老朽化

京都は、寺社仏閣が多い街ですが、私には、神社の老朽化が目立ってきているように思えます。
著明な寺院は、拝観料をもらわれているところが多いため、お庭の手入れなども行き届いていますが、神社では、著明なところでも拝観料をもらわれているところはないので、お賽銭やご祈祷、建築の安全祈願祭などからの収入に頼られていることになります。このため、著明とは言えないような神社は厳しい経営を強いられていることになっているのではないかと思います。
神社は、そのほとんどが重厚な瓦屋根で、建物の自重、特に屋根部分の重さが大きい上、壁が少なくて柱だけで建物を支える構造になっているものが多いため、老朽化が進行すると、建物の崩壊の危険性が高まることになります。
これは、おそらく、京都だけの問題ではなく、全国的な問題なのだろうと思います。特に過疎地域では、信者の減少もあるはずですから、余計に厳しい経営を強いられているのではないかと思います。先日、私が佐賀県の田舎に帰省したときに、地域の神社に立ち寄ったのですが、参拝客もおられず、寂れているような印象を受けました。小さい頃のお祭りの思い出を考えると、昔日の感があり、寂しい思いをしました。
各地の神社には、地域の信仰を支えてきた貴重な歴史的文化財も多いはずですから、神社建築の保護のため、国や公共団体からの支援も含めた議論が必要な時期に来ているように思います。

2008/10/20

気になる裁判官の癖など

裁判官は、法廷の主催者なので、あまり裁判官に意見をもの申す人はいません。弁護士もしかりであって、苦情を言う弁護士は少ないと思います。裁判への影響を考えるためです。しかし、弁護士しか裁判官に面と向かって文句を言える立場にある人間はいないわけですから、私は、たまには抗議をしたりします。ただ、国家権力の行使者に対して、弁護士としてやれることは限られています。どんなことをしたかは、ブログなどで公表するものではないので、ここでは差し控えさせていただきます。でも、そんな伝家の宝刀を抜くようなような事態はまれですから、大抵の裁判官は、多少変なことをしていても、弁護士からスルーされているわけです。
最近、私が気になっているのは、あごに手をあててしゃべる裁判官が増えてきていることです。法廷の裁判官席は、高いところにありますから、裁判官は、上から当事者を見下げているわけですが、その裁判官があごに手をあてながらしゃべってくるとなると、素人である当事者はあまり良い印象を持たないのではないかと思います。実際、ある若手の裁判官は、ひじをついて手であごをなでながら証人を尋問する癖があり、あれでは尋問を受けている証人は、かなり気分を害するのではないかと思ったりしたことがあります。丁寧に記録を読んでおられる裁判官でしたし、尋問の内容もおかしなものではなかったのですが、弁護士としてはクレームはいいにくいので、そのままにしてしまいました。どこかでトラブルにならなければいいのですが。
また、いつもニコニコしている裁判官もおられますが、ニコニコしながらきついことを言われると、人の不幸を楽しんでいるのではないかと感じることがあります。きついことは、にやつかずに話して欲しいと思います。実際、私が不快に思った裁判官は、きつい判決を書く人でした。死産に関わる事件で結果論だと書かれたのですが、結果論と言う言葉を書くのであれば裁判官など不要だと言いたくもなりました。当事者は、結果をみて納得できないから裁判を申し立てているわけですが、その心情を全く理解できていない心の通わない判決の典型だったなと思っています。
語尾がはっきりしない裁判官も困りものです。弁護士相手ならまだ推測で理解できるところはありますが、素人相手にもごもご話されている裁判官をみると、この裁判官は今後ちゃんとやっていけるのだろうかと思ったりすることがあります。
癖とは言えないけど、ひどいのは尋問途中で眠ってしまう裁判官です。私は、寝ているのを発見して、裁判官席に近づいて尋問したことがあります。その裁判官は、陳述書という証人調に代わる書類の提出を認めず、自分の目の前で調べたものしか証拠としては認めない裁判官だったので、私としては、怒り心頭に発する思いでした。
いずれにしても、裁判官の癖のようなもので目につくものについては、小さな段階で当該裁判官が気づいてもらえるような制度が必要なように思います。トラブルとなった後では遅いと思うのです。これを裁判官の独立を維持しながらどう実現するのかということは難しい問題です。裁判官を上から抑えつけるのは自由な社会の危機につながりますので。