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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2009/07/30

印鑑登録証明制度は廃止したら

中日新聞の記事によると、韓国では、印鑑登録証明制度を廃止することになるらしい。李明博大統領が国民生活の向上政策を重点的に進めているところ、生活の不便解消とグローバルスタンダードに合わせた先進化を理由としているとのことである。不動産登記も来年以降、本人の身分証明書で代替できるようになるとのことで、同制度の廃止で、関連公務員約4000人や関連コスト推定4500億ウォン(約340億円)を削減できるとのことらしい。
 元々印鑑登録証明制度は、日本特有の制度であり、日本以外では、韓国と台湾で使用されているようだが、いずれも日本からの制度輸入のようである。
 私も廃止に賛成であり、日本も早期にそうするべきだと思う。
 私が最も問題と思うところは、日本では、契約書に印鑑さえ押されていれば、署名が偽造されていても、裁判官が署名が真正なものであると推定することができることになっていることから、署名偽造に対する救済が極めて困難になっているということである。この条文があるからこそ、印鑑登録証明制度が存続していると言っても過言ではないように思われる。その結果、同居の親族などから、勝手に契約をされてしまったような事例が後を絶たない。そもそも住基登録カードなど、写真付の簡単な身分証明書が入手できるようになっている現在、顔も知らない人との間でも印鑑と印鑑証明さえあれば取引OKということになっていること自体、時代錯誤であろう。
 印鑑証明は自治体の貴重な収入の一つではあるが、その維持管理のコストを考えると、廃止しても大きな支障にはならないだろうし、韓国で言われているように、社会全体の取引慣行の先進化が進行することによるコストダウンの方が国民生活に与える好影響としては大であろう。
 私は、印鑑による署名の真正の推定の条文も廃止するべきだと思っている。この条文があるがために、裁判官が署名の真正に関する真摯な事実認定を放棄する傾向も醸成されているように思えるし、実際、署名を偽造された人の権利救済に重大な障害となっているからである。

2009/07/25

ロースクール学生の暑い夏

ブログを更新しない理由を書いて以来、色々なことがあって、ブログが更新できないままとなっていた。ようやく、書く題材が得られて余裕が少しできたこともあって、本日は、法曹養成問題に関する極めて実務的でタイムリーな話題を提供したい。
 このブログは、修習生の就職難のことに触れることが多いのだが、今回は、修習生の就職難が、ついにロースクールの学生にも影響してきていることについて触れようと思う。すなわち、昨今では、サマークラークなるものが出現し、ロースクールの卒業生が、司法試験の合格前に、弁護士事務所でアルバイトをすることが広がっている。東京では、サマーエクスターンシップと呼ぶようであり、東京の法律事務所ではこの制度がかなり定着しているようなので、この用語の方が正確なのかも知れない。弁護士事務所としては、優秀な人材をこの機会で選別し、青田買をするわけであり、受験生側からすれば、このサマーエクスターンシップを通じて就職活動を開始するわけである。新司法試験を受験するためには、ロースクールを卒業しなければならないので、ロースクールの卒業生は、ロースクールの卒業後に学生でも修習生でもない時期がでてくるので、サマーエクスターンシップは、卒業生を対象としたものから始まったようだが、現在ではロースクールの在学生にまで広がってきているとのことである。このようにして、就職戦線は、時期的には、司法試験受験生の段階にまで早期化しているというわけである。合格者500人時代では、2年修習の後期でも就職先確保が余裕をもって可能だったことと比較すると、隔世の感がある。弁護士の就職難が、この数年で大きく変化しているということを示す一つのエピソードである。
 ただ、このようなサマーエクスターンシップの機会を得ることができるのは、東京や関西の著名なロースクールの学生ぐらいというのが実態であって、地方のロースクールでは、サマーエクスターンシップの機会すら得られないという状態になっているようなので、地方のロースクールの学生は、この点でもハンディキャップを背負い込んでいることにもなる。これは、弁護士の偏在対策というロースクール制度の導入理由からは外れた現象ということになりそうである。
 また、このような制度が事実上流行りだしているということを弁護士事務所サイドから考えると、人材確保のための競争が激化しているという見方もできることになる。供給が量的に増えたことで、良質な人材確保のためには、各事務所の自助努力が必要となったということになるわけである。日弁連は、青田買の自粛を呼びかけているが、需給双方が一致して自然発生的に生じた制度を日弁連の呼びかけ程度で阻止できるはずもないし、そもそも日弁連として積極的な採用を働きかけていることとも矛盾しているから、今後、この制度が広く定着していくことは間違いないように思われる。この結果、受験生の段階ですら、勉強しながら就職活動を強いられるというわけである。私には、合格者の急増は、受験生を苦しめるだけのものとなっているように思えてならない。合格者の枠を増やせば、受験生が楽になるかというと、実際に仕事に就くという最終目標まで考えた場合には、そうでもないのが実情となってきているようにも思えるのである。

2009/04/27

ブログを毎日更新していない言い訳

最近、更新ができていませんでした。予告した記事も書けていません。今日は、その言い訳です。
 ブログを毎日のように更新している弁護士さんが沢山おられますが、このブログは、連日のように更新するときもあれば、半年近くも更新しなかったりするときもあります。更新がないと、ブログを訪問されるお客さんも減ってしまうので、自業自得ということではありますが、一応、なぜ、そんなことになっているのかという弁解をしておくことにします。
 更新が遅れる第一の理由は、多忙です。忙しくて、ブログを書いているヒマがないというわけですが、やはり、弁護士として、一番大事なのは、今のクライアントの仕事を処理することですから、仕事に追われながらも、ブログを書くというわけにはいかないということです。
 その次の第二の理由は、これも当たり前のようですが、毎日ブログに書くほどにはネタがないということです。でも、本当のことを言うと、弁護士という仕事をしていると、ブログに書きたいようなネタには毎日のようにお目にかかっているのですが、弁護士が取り扱っていることについて、ブログのネタにしてしまえば守秘義務違反になってしまいます。先日、ブログで守秘義務違反をして懲戒となった弁護士さんがおられたようですが、お客さんのことをそのままブログに書くなんてとんでもないことです。弁護士さんの中には、今日は、こんな法律相談を受けたなどと平気でブログに書いている人がいるようですが、そんなことをしたら、弁護士に本当のことを話してくれる人はいなくなってしまうように思います。
 第三の理由として、弁護士が書くブログは、弁護士の事件処理の妨げになってはいけないということで、必然的にテーマ設定に制限がかかるということもあります。最近では、HPをみたというような相手方がいたり、相手方の弁護士から事務所のHPがチェックされていたりすることもあります。私自身も、相手方弁護士のHPはよくチェックしています。そんな中、自分のブログで相手方に自分の事件に対する考え方などを示したりしたらえらいことになってしまいます。ですから、私のブログの題材は、自分が関わった事件を直接書いているものはほとんどありませんし、あったとしても、完全に終わっているものだったり、抽象論にしてしまったりなどして、守秘義務違反などとの指摘を受けないように心がけています。
 第四の理由として、プライベートに関わることも書きにくいということもあります。弁護士さんの中には、今日は、こんなことがあったとか、家族でこんな話をしたとか、事務所で食事会とか旅行をしたとか書いている方もおられますが、弁護士という仕事は他人に恨まれたりすることが全くないわけではない仕事ですから、あまりプライベートなことを書いて、攻撃のネタにされてしまうのも避けねばならないと、私は考えています。
 そんなわけで、ブログを毎日更新することはかなり大変なことになってしまうわけですが、せっかく作ったブログですから、今後も、できるだけ時間をみつけて、書き込んでゆこうかなと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。

2009/04/03

時効制度の見直しについて

時効制度の問題点は、主に刑事事件で話題となっているようです。民事事件の時効は、民法に規定がありますが、刑事事件での時効ということでよく話題になっているのは、公訴時効という制度なので、刑事訴訟法に規程があります。刑法には、確定した刑の執行を免除する制度である刑の時効という規程がありますが(刑法第31条)、確定した刑の執行が行われないままになるようなことはまずないので、これが問題となることはほとんどありません。このため、マスコミなどで話題となることが多いのは、公訴時効という刑事訴訟法に規程のある制度となるわけです。
 この公訴時効の制度が設けられている趣旨は、時間の経過に伴って犯罪の社会的影響が薄れる傾向があるということに着目する考えと(実体法説)、時間の経過に伴って証拠が散逸することで審理が困難になるということに着目する考え(訴訟法説)があり、通説は、両方の側面があるとしています(折衷説)。犯人の法的地位の安定に考慮したものだという説(新訴訟法説)もでてきています。いずれにしても、結果的に利益を受けるのは犯罪を犯した人物ですから、公訴時効は社会正義に反する制度という側面を持っているわけで、犯罪の重大性に応じて時効期間が異なっているのは、このことに着目したものとも言えます。しかしながら、このような不正義を国が認めていることはおかしいということで、殺人事件などの重大犯罪については時効をなくすべきだとか、時効の期間を見直すべきだいう考えがでてきているわけです。
 元々、この法律ができたのは戦後まもなくのことですから、DNA鑑定など想像することすらできなかった時代の法律が今もなおそのままとなっているわけです。現行の刑事訴訟法が制定された頃は、刑事事件の証拠としては目撃証言などが重要なものだったということを考えると、昔のことを思い出しての証言だけで有罪無罪を決めていいのかということについて消極的な判断に至ったことにはそれなりの合理性があるように思います。しかし、科学的鑑定や防犯ビデオなどの記録機材が発達した今の時代にも同じことが言えるのかというと、そうでもないわけですし、殺人などの重大犯罪の抑制という見地からは、時効を延長することにも十分な理由があるように思います。
 それでもすんなりとは決まっていないのは、この時効制度が、警察などが捜査を打ち切るための理由づけになっていることがあるように思います。実際、新聞記事でも、見直しの慎重論の理由として、「捜査の人員の維持や資料の保管に限度を設けることを検討する必要がある」と捜査機関の負担が指摘されています。私が司法修習を受けているときも、塩漬けのようになっている長期未済事件について、時効を理由として起訴猶予とするということがあったと記憶しています。
 このため、この制度の改正は難しい問題となっているわけですが、私は、個人的には、時間だけで一律に時効が成立してしまうような制度だけを用意するのではなく、社会的な影響なども考慮して、時効の延長を個別に考慮するような制度もあっていいように思っています。要は、証拠の被害者側の心情や社会的影響などを個別に裁判所が審査して時効の延長の可否を判断するということもあっていいように思うのです。被害者側が時効延長を望まないということも延長の判断の要素として考慮することとなれば、今の時効制度の問題はかなり緩和されるように思うのです。
 なお、私は、民事事件の時効の制度も見直すべきではないかと考えているのですが、そのことは、別稿で述べるようにします。