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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2009/11/23

現在進行中の事件をブログに書く弁護士もいます

前回は、相談をブログに書く弁護士がいるということをご紹介しましたが、更に問題があると私が思っているのは、現在進行している事件のことをブログに書く弁護士です。
事件で実際に提出した準備書面をHPで公開するという人は、弁護士ではない人にはたまにみられたのですが、最近では、弁護士の中にも準備書面をブログで転載する人がでてきました。
自分の主張を公開して、賛同者を得ようとするような事件なら、少しはわかることもありますし、知財事件の絡みではこれまでも行われていた例もあるようなのですが、私が関わった事件では、どうも事件勧誘のためにやっているような気がしましたし、これだけ個人情報保護が強調されている世の中なのに、実名を平気で書かれたりしましたので、困りました。そうなると、当方の書面も相手方の書面もブログに掲載しにくくなるような書面を書くような工夫が必要となりました。この工夫の成果なのかしばらくして対応は改まりましたが、無用な労力が必要となりますし、必然的に問題点を厳しく指摘する書面にならざるを得ませんから、互いに気持ちのいいものではありません。何よりも名誉や信用毀損などの新たな事件を呼び込む可能性が高くなりますから、ぜひともやめてほしいと思います。
準備書面を転載しないまでも、実際の事件のことを題材にしてブログに書いている弁護士もおられます。そんなことをすると、自分がどんな考えをもって事件に臨んでいるのかを公開することになってしまいます。相手方にその考えを引用して書面を書かれたりすると、やっかいなことになるように思います。準備が遅れたりしたときも、ブログを書いている時間があったのだから実際の事件の書面を書く余裕がなかったということにはなりませんよねとの突っ込みを受けることにもなるかも知れません。ましてや、相手方や代理人に対する非難めいたことを書いたりすれば、感情もこじれて和解などもやりにくくなるでしょう。ブログに書く以上は、相手方本人や代理人がみているという自覚が必要となるのではないかなと思います。
色々と厳しい時代ですから、慎重に対応せねばならないと思うことが多くなりました。自戒の意味も込めて、弁護士のブログのあり方について書いてみました。

2009/11/18

相談内容はブログに書かない

私は、ブログが毎日更新できない理由をブログに書いたことがありますが、その中で相談内容をブログに書いている弁護士がいることを指摘しました。どうも、ブログに相談内容を書いても平気な弁護士というのは、名前さえ載せなければ守秘義務には反しないと考えているのではないかなと思ってしまいます。今日はこんな相談を受けてこんなことを考えたとか、今日はこんな事件の法廷があってこんな感想を持ったなどと、相談や事件の内容に触れた記述を、いくつも書いているのです。
私は、相談者や依頼者はブログをみていると思ってブログを書いていますから、今日、こんな相談があって、こんなことを考えたなどと、ブログに書こうとは思いません。そんなブログをみた相談者は、自分のことが普段から話のネタになっているのではないかと感じてしまわれるのではないかと思うのです。そんなことになれば、その人は次からは安心して相談はしてくれないのではないかと思います。何よりも、弁護士が背負っている守秘義務という弁護士制度の信頼の基礎に関わる問題だと思います。それだけ大事な問題だからこそ、ブログで守秘義務違反をしたことで弁護士が懲戒となったのだろうと思うのです。
ブログに安易に相談内容を書く弁護士さんは自分のブログだから何を書いてもいいと思っておられるのかも知れませんが、法律相談は弁護士に最初に接する機会ですから、その相談内容が話のネタになるかも知れないということで不安に感じるような人がでてきては困ります。ブログで守秘義務違反をすることは、弁護士という職業全体の信頼感をなくすことにつながりかねないことだという自覚を持ってもらいたいと思います。

2009/11/11

過剰な写真撮影は自主規制した方がいいのでは?

最近は、一つの事件にマスコミが集中しすぎていて、異常に思えることが多いように思います。11月10日の市橋容疑者身柄確保の報道も、すごいものがありました。金子さんの保釈のときに、京都拘置所でマスコミに囲まれた中、脱出したときのことを思い出しましたが、市橋容疑者に対しては、なぜ真夜中の新幹線に乗り込んでまで写真をねらうのか、理解できないところがあります。視聴者がそのようなことまでして撮った写真を望んでいるのかということには疑問があります。視聴者側としては、この事件については身柄が確保されたという事実にしか興味はないのではないかと思います。その程度のことにしか思えない程度のことなのに、一般の利用客の迷惑になるぐらいに、マスコミ関係者が集まっているのはおかしいように思います。
日本郵政の社長退任のときの記者会見でも、カメラマンが集まりすぎだったことは明らかだったように思います。シャッター音が邪魔になって、会見する人の声が聞き取れないのでは本末転倒です。会見された側は、そのことを問題にしただけのように思うのですが、マスコミ側が逆ギレして、怒りの記者会見などと評して、せっかく会見している人を非難したりしているのは、道徳的にもいかがなものかと思ったりします。
報道の自由というものが国民の知る権利にとって大事なものであり、表現の自由の前提とも言えるものであることはわかりますが、だからと言って、取材される側や報道される側の人格を無視してもよいということではないはずです。ましてや、駅のプラットホームにあふれかねないような危険な状態を作ったり、公道で取材対象者を追いかけ回したりするような、命や身体の安全に関わるようなことをしてよいということにはならないように思います。
そう考えると、マスコミ側が、そんなことをしてまで撮ったような写真や映像は使わないというような自主規制を検討する時期に差しかかっているように思います。そこに自省がないままに、取材に非協力的な人に逆ギレして非難するような対応を続けてゆけば、厳しい法的規制を呼び込むことになりかねないのではないでしょうか。少なくともネットでは、批判的な意見が増えてきているように思います。今の現状は、マスコミ側の自殺行為のように思えてなりません。

2009/11/08

うなぎの寝床と税金は関係ないのか

前回、うなぎの寝床が発生してきたのは、南北朝時代からの「屋地子」に由来するのではないかと書いたのですが、Wikipediaでは、江戸時代の町費が間口に応じて決められたためであるとするのは俗説で間違いであると断定されているようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E7%94%BA%E5%AE%B6
しかし、このWikipediaの記述は、その根拠が明示されていないように思います。「通りに多くの家屋を建ち並ばせるためには、必然的に間口が狭く、奥行きが深くなる。」からであるとは言われていますが、なぜ、通りに多くの家屋が建ち並ぶようになったのかという理由が示されていないので、うなぎの寝床の形成の理由にはなっていないように思うのです。この記述の後に、「京都に現存する町家は、1864年の蛤御門の変ののちに発生した大火(どんど焼)以降に建てられたものがほとんどである。」との記述が続いていることからすると、この記述者は、現在、残存している町家が、江戸時代に建ったものではないということを言いたいのかも知れないなと思ったりもします。現在の町家がどんど焼の後に建ったものであるということは、私もそのとおりだと思っておりますが、うなぎの寝床の問題は、土地の区割の問題なので、うなぎの寝床となるような土地区割の形成は、江戸時代にはできていたということでないとおかしいように思います。うなぎの寝床のような短冊形の土地区割が形成されていたがために、どんど焼の後にも、同じような細長い建物しか建築できなかったということだと思うのです。ただ、私も、江戸時代の税金がどうなっていたのかはわからないのですが、税金が影響していないということを断定することはできないように思っています。
なお、上記のどんど焼のことは、あまり知られていないようですが、明治維新という130年ほど前に、このような大火が発生していることは、町家が建ち並ぶという町並が類焼の危険性が高い危険なものであることを示している歴史的な出来事のように思います。