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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2010/06/10

修習生の給費制維持問題その後

修習生の給費制維持を求める日弁連の運動については、もはや遅いなどと非難されている方もおられるようですが、給費制を廃止することがおかしいのは間違いないことだと思いますので、私も、できる範囲で運動に参加させていただいております。この運動は、全国に広まっています。
 皆さんに、ぜひご覧いただきたいのは、日弁連の下記HPの最終行にある動画です。
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/special_theme/kiyuuhiseiizi.html
 オーバーではないかとか、少し不謹慎ではないかなどと感じられる方もおられるかも知れませんが、修習生の就職難の現状は、これよりもっと進んでいますし、過払金問題を取り扱う事務所が企業化し広告宣伝の競争が激しくなっているという状況も、この劇よりも進んでいるのが実態ですから、決してオーバーな劇ではありません。むしろ、ここに登場する架空の修習生が10年後にも弁護士をやっていて、修習生を雇い入れる面接ができるようになっているということが非現実的だと私は思っています。それぐらいに修習生が厳しい状況に置かれている中、更に給費制もなくなるということでは、法律家の人材養成はお先真っ暗ということになり、国民の権利擁護という観点からは大いに問題があります。
 京都弁護士会では、昨年に続いて、2度目の決議を採択しています。
 http://www.kyotoben.or.jp/siritai/menu/pages_kobetu.cfm?id=489
署名活動もやっていますので、ぜひともご理解いただきたいと思います。ちなみに、署名用紙は、下記でダウンロードできます。
  http://www.nichibenren.or.jp/ja/special_theme/data/kyufu_syomei.pdf

2010/06/06

勝竜寺城に登城してみる

再び、長岡京事務所の地元ネタ。
 今回は、長岡京市にある勝竜寺城に登城したお話。
 勝竜寺城は、JR長岡京駅のそばにあります。周辺は、住宅地なので、住宅地の中にある小さな城という感じです。現在では、公園となっています。2階建のお城で、内部には展示物がありますが、無料で見物することができます。
近くからみた勝竜寺城の全景です。
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登城門です。かわいい橋がかかっています。
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沼田丸側の土塁からみた勝竜寺城とお堀
IMGP2978.JPG
裏口側からみたお堀です。亀のお家が建っています。
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 勝竜寺城は、織田信長の家臣となった細川藤孝の居城だったところです。細川藤孝の息子である細川忠興の妻が、細川ガラシャです。細川ガラシャは明智光秀の娘お玉で、この勝竜寺城で結婚式を挙げたと言われています。このため、長岡京市には、ガラシャ通(長岡京駅から南の勝竜寺城跡までの道)があり、秋にはガラシャ祭が行われているようです。
細川忠興とガラシャの像が建っています。
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細川藤孝や忠興は、本能寺の変の後に、明智光秀の応援に回らなかったことから、羽柴秀吉が大山崎の戦いで勝利することにつながるわけです。明智光秀は、大山崎の戦いで敗れた後に、勝竜寺城に逃げ込んだと言われています。但し、ここで籠城したわけではなく、すぐにこの城を離れて近江の坂本に戻る途中で小栗栖(山科盆地の南)で落ち武者狩りに遭ったと言われています。
そんなことを考えると、この城が、重要な場所に位置していたということがわかりますが、現在は、住宅地の中の小さなお城として、市民の憩いの場となっているようです。桜がきれいなところです。花見の季節にはご近所の方が花見をされています。

2010/06/01

修習生の就職支援は国民的課題だと思う

再び、現実の厳しい話。
 修習生の就職状況が極めて厳しい状況に置かれていることは、既に何度かブログで紹介していますが、実際に修習生を預かっている弁護士会としては、何とか支援の活動をしたいと動いています。
 弁護士会主催で「就職説明会」を開くという試みもその一つですが、いかんせん、世間一般からは就職説明会という評価は受けないであろうという数しか募集先が集まらないという状況です。このため、就職先を探すための心構えとか、面接のテクニックを伝授するような支援のための懇談会を開いたりもしていますし、できるだけ早い時期に弁護士と接触できる機会を増せないかと検討していたりします。
 ただ、修習生の中にはあきらめムードもでてきている程、厳しい現実があります。数年前からの就職状況の厳しさが友人などを通じてロースクールの学生に伝わっているためか、修習生は、皆、早期に情報を収集し、一生懸命に就職活動をしていて、何度も事務所訪問をしているけれども、いい結果がでないということを何度も繰り返しているために、将来に展望が持てなくなっているような印象を受けます。
 このようにみてくると、やはり今の法曹養成制度には、構造的な欠陥があるように思います。まず、最初に絶対にやるべきことは、合格者数を社会的需要に合わせたものにすることです。次に、ロースクール制度を残すにしても、在学中に受験ができるようにして、ロースクール自身に就職指導の責任を残すようにすることが必要だと思います。なお、社会的需要の予測に際しては、今後は、増やしすぎた若手弁護士の流動化も始まるということで、合格者数を従前の水準に減らしたとしても厳しい就職戦線が残り続ける可能性があるということも考えねばなりません。
 これらの対策は、弁護士会ができるものではありません。もはや弁護士会で就職の支援をするぐらいでは、せっかく厳しい試験を乗り越えた若者達の希望を叶えることができない事態となっているのです。しかし、彼らには何らの責任もありません。悪いのは嘘っぱちの夢を与えてしまった社会全体なのですから、彼らの修習終了後の生活について、何らかの対策を考えることが喫緊の課題となっています。修習生は、公務員ですから、失業保険すらもらえない状況に置かれているのであって、労働者としての基本的権利の確保すらできていないということを考えてほしいのです。元々、修習生が相当数就職ができなくなるというようなことは、修習制度自体が前提としていないのです。このことは、ロースクール制度に反対している人にもぜひ考えてほしいと思います。
 以上のような次第で、私は、このような構造的欠陥のある制度を作り出したのは、社会全体に責任があるわけですから、この問題の解決も、社会全体で考えてもらうべきだと思います。大量の就職先未定者がでてきたときには、少なくとも、当面の生活支援のための基金の創出して転職のための機会を与えるようにすることなどを考えねばなりません。今後の政治日程を考えると、今から検討したところで、12月末には間に合わないぐらいではないかと思います。ですから、あえて今、提案してみる次第です。どれだけの人がこのブログをみているかはわかりませんし、悲観的に過ぎるとの非難を受けるかも知れませんが、誰かが言い始めないと、12月には大変なことになるように思えてならないのです。

2010/05/30

天下分け目の天王山に登ってみる(その2)

天王山の山頂は、標高270メートルですが、この山頂からは、周囲は見渡せません。
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天王山までの登山道は、かなり急なところがありますし、竹の落ち葉で滑りやすいので、注意が必要です。京都で身近な登山ということで比較すると、大文字山よりは楽、しんどさで言えば、伏見稲荷の稲荷山ぐらいですが、稲荷山よりは山道がきついという感じでしょうか。
天王山の山頂付近から大阪方面が見渡せるところもありますが、ここからは、大山崎の合戦場は見渡せません。やはり、戦場が見渡せる旗掛松付近が戦術上も重要だったのだろうなと思います。
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天王山山頂までの登山道には、酒解神社(さかとけじんじゃ)とか、十七烈士の墓、三社宮などがあります。十七烈士は、禁門の変で敗退した長州藩のしんがりを務めた真木保臣らのことです。禁門の変では、京都の町は大火災に見舞われたのですが、大山崎も長州藩と幕府との戦闘があったために大火に見舞われたそうで、明治維新は町の復興から始まったということのようです。
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