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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2010/09/02

もっと新人にやさしい法曹界にならないものだろうか

 「司法改革」という名の下で行われた弁護士の激増政策は、まだ合格者2,000名レベルの段階で、弁護士の就職難や劣悪な就労環境の下で働くノキ弁、ケータイ弁などの現象を生じさせています。この上更に増やすための経済的障壁である給費制の廃止まで実現すれば、借金に追われる法曹が大量出現することになります。自由競争、自由競争との合唱の中、現実には、社会にでようとしている人たちや社会にでたばかりの人に厳しいだけの法曹養成制度になってしまっているように思えてなりません。
 しかも、養成期間は半分に短縮され、指導担当の弁護士も不足して経験の浅い指導係を割り当てられて、前期修習なしにいきなり実務修習に放り込まれて、環境変化に戸惑ってわけもわからないうちに質の低下などと非難を受けることもあるような養成環境になってしまっています。その上、就職活動にも時間を割かねばならず、修習に専念できる環境にもないわけですから、大量増員を手当てするような丁寧な養成が行われているということもできないのが実情のように思います。
 私が修習生だった頃と比較すると雲泥の差が生じています。
 更に、最近の傾向として気になることがあります。経費節減ということで、12月登録をせずに、1月登録となる弁護士が増えてきているなど、採用時期についてまで厳しい環境が生じてきていることです。日弁連の給費制廃止反対のためのパンフレットによると、新61期の初期登録可能な時期に未登録者は89人いたのですが、2か月後は42人に減少しています。新62期の場合は、同じく133人が65人になっています。これは、12月中旬が初期登録時期となっているため、採用してもほとんど働かないうちに年末を迎えてしまうということと、弁護士会費などの負担を考えると、1月から採用した方がいいという弁護士事務所の判断が大きく影響しているように思います。何とも、せちがらい世の中になったものです。ただ、私は、そもそもこんな時期に新規採用となるような制度設計に問題があると思うのです。
 そもそもロースクール制度自体が、最初から無職者を出現させる制度になってしまっているように思います。学生の身分で次の就職先をみつけるようにしてやることは、大事なことだと思いますから、ロースクールの卒業と同時に修習が開始できるように制度を改める必要があります。そうすれば、4月入所、3月修習終了、4月から法曹としてスタートということが実現できます。こうすれば、一般の就職スタイルと同じことになって、人生設計も楽になります。そんなことも考えられないようでは、法曹志望者が減るのは当たり前のように思います。
 最近わかったことですが、裁判官は、弁護士や検察官と比べて、スタートの時期が遅れるようなことになっています。下級裁判所裁判官指名諮問委員会の開催時期が二回試験の合格発表時期に合わせられていないために、法曹三者のうち裁判官だけが大きく遅れてスタートするような事態になっているのです。現行63期は、9月8日の上記委員会の開催とその後の最高裁判所裁判官会議を経て任命ということになり、10日ほどずれていることになっています。こんなことは、これまでなかったように思います。
 どうも、法曹界全体が新人に冷たい世界になりつつあるように思います。

2010/08/29

修習生にバイトの機会を与えたら、それでいいのでしょうか

修習生の給費制維持のことで、朝日新聞が論説を書いていますが、これを読む限り、修習生はアルバイトをしたらいいかのような理解をされているように思います。きちんと取材をされたのかがわかりませんが、少なくとも、私の知る限り、修習生にアルバイトをしなさいということは無理だと思います。
http://www.asahi.com/paper/editorial20100829.html
弁護修習では、単に相談に立ち会うだけとか、刑事の接見に立ち会うだけというときもないとは言えませんが、相談後の弁護士との協議では、法的な問題点について議論します。弁護士としても、この議論の中で、法律論を再検討することがあります。その後、弁護士の指示に基づいて、法律や判例を調査したりすることもありますし、訴状や準備書面、内容証明郵便などを起案したりします。これが結構役に立っているのです。と言うわけで、弁護修習では、実際に仕事をしているということは言えるわけです。
検察庁では、指導係の指導を受けてではありますが、取調を実際に担当したりしますから、まさに仕事そのものを担当しています。ただ、裁判所では、判決を書いたり、訴訟指揮をするわけではないので、仕事そのものをしているわけではありませんし、判決起案については朱を入れられたりすることが多いので、研修をしているという印象が一番強いところではないかとは思いますが、裁判修習の中でも判例を調べたりすることもありますし、自分の経験では修習生の判決起案を下に合議をしていただいたこともありますから、裁判修習でも、修習生は仕事をしていることにはなると思います。後期修習など、研修だけしか行われない時期はありますが、新人採用にあたって全体的な研修を行うことは、通常の企業でも公務員でも行われていますから、このような研修時期があるから、全てが研修だなどと言うのは、乱暴な議論だと思います。
以上の次第ですから、修習生が仕事をしていないという評価は誤りだと思います。となりますと、修習生には給与が支払われて当然です。修習生には、修習専念義務がありますが、これは、修習が仕事であることからの当然の帰結でもあります。逆に言えば、仕事を与えながらも給与は払わない、アルバイトも禁止ということであれば、憲法の定める経済的自由の侵害と言わざるを得ないと思います。
では、現実を考えてみた場合、修習生が実際にアルバイトをできるかというと、まず不可能だと思います。弁護修習だと、弁護士と同じような時間帯まで事務所にいることが多いはずですから、アフターファイブに仕事にゆけるような時間的余裕はありません。他の修習も、判例や法令の調査や判決起案で手一杯で、自宅でも勉強に追われているというのが実態です。ですから、修習生にアルバイトの機会さえ与えれば、給費制を廃止してもよいなどと言われるのは、現実を無視した、乱暴な議論だと思います。
やはり、修習生の給費制廃止は問題がありすぎです。

2010/08/27

歴史を疑ってみる

最近読み終えた本に、講談社学術文庫の「信長の戦争」という本があります。藤本正行さんが書かれた本です。
 信長は、桶狭間の戦いで、今川義元を奇襲して討ち取って、天下取になってゆくというのが、一般的に信じられていることですが、実は、桶狭間の戦いが奇襲戦であったということが書かれているのは、後に書かれた小説である甫庵信長記ぐらいのもので、信長に従軍していた太田牛一が書いた信長公記によると、信長は、正面から攻撃したと記述されているようなのです。また、桶狭間は低地で信長軍が駆け下りて義元を襲うというイメージがありますが、どうも義元が高い位置に陣取っていて、信長側が駆け上がったということのようですから、義元側は、信長軍の動きがわかっていた、つまり、奇襲ではなかったということになります。このとき今川側だった徳川の三河物語でも、義元が高い位置に布陣していたことが書かれているようです。
 要するに、実際に従軍した者が書き残したものには奇襲とは書かれていなかったのに、少数が多数を倒すとすれば奇襲しかないということでストーリーを練り上げた小説がいつの間にか歴史的事実になってしまったということのようです。
 長篠の戦いも、武田の騎馬軍団が、信長の鉄砲隊の三段撃に敗れ去ったということで、鉄砲に戦争の武器の主役が移った戦いというので歴史的に有名ですが、信長公記には、三段撃ちのことは書かれていません。三段撃ちも、小説である甫庵信長記の創作のようです。よく考えると、武田の騎馬隊も、鉄砲が一斉に構えられているようなところに突っ込んでゆくはずがないのです。両陣営は、川を挟んで対峙していたようで、騎馬隊が動きやすそうな平原で戦いが行われたわけでもないようです。要するに、柵で突撃ができないようにしている陣地に攻撃を仕掛けた武田軍が、陣地内に隠れていた圧倒的な数の鉄砲隊の前に崩されて撤退するということが何度か繰り返されて、最終的には武田軍が崩れていったということが真相のようです。日露戦争のときの日本軍の旅順攻撃のように、鉄砲の弾幕に突撃して敗退したというイメージです。このときは、京都の長岡に城を持っていた細川藤孝の鉄砲隊も参加していたようですから、信長としては、とにかく鉄砲を集めるだけ集めての物量作戦で武田軍の一挙殲滅を図ったというところでしょうか。鉄砲で勝ったというところでは歴史的な戦いと言えるのでしょうが、三段撃ちで勝った戦いということではなさそうです。
 三段撃ちというと、何となくすごいし、あの武田軍がなぜ敗れ去ったのかという疑問を消し去ることのできる新戦術が天才信長によって編み出されたということになれば、わくわくするような物語にもなりますから、これも甫庵信長記の小説としてのストーリー構築がうまかったということでしょう。
 以上、歴史も、創作されていることがあるということですが、裁判にも同じようなことがあります。事実とは違うストーリーでも、なるほどと思わせることができれば勝つこともあるし、逆に変なストーリーに裁判官が乗ってしまって負けることもあるわけです。特に裁判官の中には勝手にストーリーを練り上げてしまう人もいるので困ることがあります。刑事裁判の検察官調書に創作があるということは、村木局長事件で話題になっていますが、ストーリーさえできれば、裁判官に信じられてしまうことがあるというのが、日本の裁判の怖いところです。
 要は、弁護士であれば、みんなが疑わないものでもまずは疑ってみる、疑いの余地のないような確実な証拠や事実から主張を組み立てるとともに、みんなに受け容れやすいわかりやすいストーリーを構築して主張することが大事だということになるように思います。

2010/08/22

裁判官や検察官の中途退官者が減っているようです

裁判官や検察官の採用数があまり増えていないのではないかということについては、このブログでも何度か取り上げていましたが、採用数が増えていない割には、裁判官や検察官の数は増えているというのが統計上明らかになっています。その理由として、中途退官者が減っているということが言われていました。中途退官者が減っているので、新規採用にも予算上の限りがあるということも言われていました。ただ、実際、そのことを統計的に調べた人はいないようなので、やってみました。
 裁判官や検察官の定数は、統計が示されています。修習生からの採用者については、一部は私の自己調査に依りましたが、これも統計上明らかになっています。前年度の定数に、当該年度の弁護士任官者や修習生からの採用者数を足して、当該年度の定数を引けば、退官者の数がでてきます。ただ、この退官者は、定年退官なのか中途退官なのかはわかりませんので、注意を要します。この結果をまとめたのが、下記の表です。
 2000年が修習生からの採用が2度あったので、かなり不正確なようにも思いますが、裁判官の退官者は、2000年に100人を超えていたものが、漸減し、2009年は37人になっています。これだけの差が生じていることは、中途退官者が減っていると考えないと合理的な説明ができないように思います。これに対して、検察官は、なぜか2007年に退官者が増えていますが、裁判官同様、退官者の総数が減ってきているように思います。
 裁判官や検察官が中途退官して何になるかと言うと、そのほとんどは弁護士だったわけです。裁判官や検察官も、修習生と接する機会が多いわけですが、そこで、修習生の就職難を直に見聞きするわけですから、弁護士の就職難を実感していることになります。もちろん、同期の弁護士からも直接に情報を入手できるルートがありますから、経営者側の弁護士からの情報入手も可能です。こう考えると、弁護士の就職難が中途退官者の減少に影響している可能性は大きいように思います。
 私は、裁判官や検察官が中途退官がしにくい状況になると、官僚的な統制が容易になってしまうように思います。いつでもやめることができるという状況が確保されていれば、良心に従った判決や捜査が期待できるように思いますが、そうでない状況が続くことは、司法の独立にとってもあまり好ましくない事態を招かないのか、心配です。
裁判官数の推移表.pdf