2011/09/19
大文字山
愛宕山に続いて、大文字山に登ってみました。
大文字山の大文字は、京都の色々なところからみることができます。と言うことは、大文字山からは、京都市内が一望できるということになります。
学生時代には、仲間と夜に登って、夜景を楽しんだりしたことがありますが、大文字山からみた京都の夜景は、絶景です。ただ、全く電灯もない山道を歩かなければなりませんので、夜に大文字山に登ることは絶対にお奨めできません。
大文字山から西側をみた写真
手前の緑が吉田山、その向こうが御所、斜めに走る緑が鴨川、鴨川の手前の緑が糺の森と下鴨神社、その向こうの緑が植物園です。遠くに愛宕山がみえます。
大文字山から南側をみた写真
火床がこのように並んでいます。手前は、鹿ヶ谷です。御所の向こうには、二条城がみえます。
大文字の下から大文字山を見上げた写真
実際に上に登ってみると、大の字だということはわかりますが、傾斜に合わせた形で、しかも、市内からみて、きれいに大の字になるように火床が並べられていることがわかります。
ちなみに、大文字山は、織田信長が入洛する前の足利義輝の時代まで如意ヶ岳城があったということです。その痕跡があるかなと思って登ったのですが、素人には、どこにその痕跡があるのかがわかりませんでした。
大文字山への登山口には、中尾城の跡という看板もありますが、その痕跡もよくわかりませんでした。
なお、銀閣寺の近くは、浄土寺という地名となっています。昔は、実際に、浄土寺という寺があったそうですが、足利義政が銀閣寺を建てる際に、相国寺付近に移されたということです。地名だけは、浄土寺として残ったということになります。
中尾城などのお城があったりしていたわけですから、足利時代には、この銀閣寺の付近が重要な拠点だったということのようです。逆に言うと、そのような重要拠点だったからこそ、銀閣寺が建立されたということかも知れません。これまでは、足利義政の隠居場として銀閣寺が建てられたのかと思っていたのですが、どうも違うのかも知れないなと思ったりしています。京都には、色々と発見することがまだまだありそうです。