2006 春号 vol.1 白浜法律事務所報
巻頭言
今回、初めて事務所報を作成することと致しました。
我々弁護士は、お客様に信頼され、何でも話してもらえる関係を作っていく必要があります。ところが、どうも難しい話が先行したり、場合によっては厳しいお話をしたりしている関係で、我々弁護士は、敷居が高いなどと言われることがよくあります。このため、我々、日頃、どんなことを考えて仕事をしているのかということがわかっていただければということで、この事務所報を作ってみました。
海の星学寮
弁護士 白浜徹朗
私は大学をこの寮で過ごした。 世間知らずで田舎者で、おまけに貧乏だった私にとって、海の星に巡り会ったことは、極めて幸運なことだった。
大学生の頃は、インベーダーゲームが大流行したが、毎月6万円ぐらいで生活していた当時の私には、1回50円もするゲームには手が出せず、情けなかったことを覚えている。そんな貧乏学生の私にとって、毎月2万5千円で朝晩の食事もついてくる住み家はありがたかった。古い建物で、夏は大きなナメクジがはい回っていたりする寮ではあったが、毎日が合宿状態で、誰かれとなく色々な話をして楽しかった。とてつもなく汚い便所の掃除とか、ほこりまみれの廊下の拭き掃除とかも、今から思えばよい思い出である。
私にとってみれば、この海の星がサークルのようなもので、学部だけでなく、大学を超えた友人もできたことは、私にとって貴重な財産となっている。海の星がなければ、今の私はなかったことだけは間違いない。
そんな海の星学寮も、創設されて55年目を迎える。
昭和61年には、鉄骨造の立派な建物に生まれ変わったが、元々は、丹後の伊根町にお住まいになっていた浜中亦七氏が、昭和26年に私財を投じて建設されたものである。浜中氏は、つい最近まで京都府漁業組合連合会の会長をされていた方であり、戦後の復興のために若者を育てるということで、海の星学寮を創設され、遠く丹後の地から、我々学生を援助していただいていたわけである。
その浜中氏が、今年1月7日に亡くなった。享年97歳とのことであった。ご子息によると、浜中氏は最後まで海の星学寮を宝物のように思われていたとのことであり、晩年は海の星学寮のお隣に住まわれていた。
そんな浜中氏に見守られて、海の星学寮は、現在まで400人以上の学生を世に送り出した。
昨年、伊根町に近い宮津の公設事務所に、私の事務所から藤居弁護士を送り出すことができたが、このことで、浜中氏や海の星学寮に少しご恩返しができたのであれば幸いである。また、私自身、後進を育てることに尽力せねばならないと思いを新たにした次第である。
裁判員裁判についての雑感
弁護士 遠山大輔
平成21年5月までに、一定の重大事件について一般市民が裁判官とともに刑事裁判の審理、評議に参加する裁判員裁判が導入されます。法務省、日弁連、最高裁などによる一般市民向けの広報活動が盛んに行われており(有名女優も起用されていますね。)、それとともに、各地で模擬「裁判員裁判」が行われています。
私は、弁護士会の裁判員制度実施本部のメンバーとして、既に3回の模擬裁判を経験しています。法曹三者の共催によるもの、京都弁護士会とKBS京都の協力によるもの、公立図書館の主催によるもの、と違いはありますが、感想として共通しているのは、やはり市民感覚というのは非常にあなどりがたい貴重なものだということです。市民6人それぞれの発想により、異なった着眼点からの分析がなされ、「絶望的状況」とも言われる刑事裁判に新風が吹き込まれることを期待せずにはいられません。
私は、上の3つのうち2つの模擬裁判において、恥ずかしながら左陪席(3人の裁判官の中では一番新米です。)の役でしたが、間近で議論する裁判員の姿勢は真剣そのものでした。もともと希望者を募ったことも影響しているかもしれませんが、一つ一つの争点について、それぞれの感覚、価値観に根ざした意見を述べ、裁判官(役)に対しても物怖じせずに反論する裁判員の姿に、裁判員裁判の成功を確信しました。ある評議において、「パチンコで午前中だけでいくら勝てるか。」という話題になったとき、私の意見がものの見事に一蹴されたことがあります。このときは、実際の裁判員裁判において裁判官が一般市民に議論で押し込まれる姿が頭に浮かびました。
とはいえ、せっかくの裁判員の意見が取り残されるようでは制度の成功は望めません。導入まで、そして導入後も、「得難い知恵の実」となるべき裁判員の意見が次々と出てくるような制度設計、ルール作りが進められなければなりません。私としても、いろんな場面で貢献していきたいと思っています。
裁判員裁判が導入されたら、一度でいいから裁判員になってみたいものです(弁護士はなれないことになっています。)。私の意見はまた一蹴されるでしょうか。
地上の星
弁護士 豊福誠二
大学の3回生の頃のことだと思う。ある日、電信柱のてっぺんで胸を張って精一杯鳴いているメジロを発見したことがあった。
バードウォッチングの経験のある方ならおわかりになると思うが、我々が鳥を観察する時は、空を見上げる角度になるからたいてい逆光であり、鳥の体はよく見ないとどれも真っ黒である。つまり、興味がないと、小型のなにがしかの鳥様のものがチュンとかチーとか言いながらそこら辺を勝手に飛んでいるだけなのである。さすがにカラスのクラスになると害鳥(と言われている)だから人の注意をひくが、スズメクラスの無害(ではないという意見もあろうが)な鳥に、人は注意を向けようとしない。しかし、ひとたび注意を向けると、なにも山間部にまで行かなくても、町の中に、メジロもシジュウカラもウグイスもイカルもヤマガラもいくらでもいるのである。ヒヨドリやムクドリなんて迷惑なくらいいる。私は、町中の探鳥が大好きになった。
中島みゆきの「地上の星」という歌は、身近なところに貴重なものがたくさんあるのに、我々は見落としがちであるということを歌った歌であろう。「町中の小鳥たち」はまさに「地上の星」である。
法曹の仕事はこの「地上の星」を見つける作業に似ているところがあると思う。裁判官は膨大な記録の中から重要な事実を見極め、検察官や弁護士は、当事者からの聞き取りや証拠の中から宝を探す。なにが宝であるかは当事者には意識できていないことも多いから、ねばり強く聞き取ることが大切だ。
重要な事実が目の前にあるのに、気付かないこともある。私が記録と格闘して悩んでいるとき、同じ記録を読んだことのある白浜先生に「これはこういうこととちゃうのん」とサラッと指摘を受けて、ああなるほど、これは使える!と感動したこともある。
地上の星を見つけるのは難しい。気付かないから地上の星なのだ。
修習中にはいろいろな弁護士の姿に接することができたが、クールにするどい指摘をしてのける、若いのに京都弁護士会で確固たる存在感を示しておられた白浜弁護士と、刑事弁護での堂々としたマウンドさばきに感心した遠山弁護士のおられる白浜法律事務所は、最も就職したい法律事務所であった。
自己分析は最も苦手とするところであるが、白浜弁護士によれば、私は理系出身だから、きっと法学部を出た人の気付かないことに気付いてくれるだろうと期待しての採用だったそうである。「地上の星」を2人の弁護士とともに発見し、依頼者の方に喜んでいただけるようにしたいと思う。
「そ」を聴きながら
宮津ひまわり基金法律事務所所長
弁護士 藤居 弘之
宮津ひまわり基金法律事務所に赴任して5ヶ月が経とうとしています。開所から2月20日現在までの新規相談件数103件、受任数59件という途中経過が、どの程度のものなのか実感はありませんが、まずは精一杯取り組んできた結果であり、悔いるところはありません。
事件の特徴はやはり、離婚、相続、債務整理が多く、これは全国の他のひまわり基金事務所同様です。ただ、他の司法過疎地に比べて特徴的なのは一般民事事件が多いことでしょうか。法人からの相談も多く、相談への回答のために新たな調査を要求されることも少なくありません。京都縦貫道路を宮津インターの手前まで来ると、不意に宮津の町が眼下に開けてきますが、少し注意してみるとその四方が海と山にきれいに縁取られているのが見て取れます。この町の経済活動もその地形同様他の地域からは相当程度独立しており、発生する紛争が多様なことも、その現れであると思われます。
ところで、当地に赴任して一番困るのは気楽に相談できる相手がないことです。身近に弁護士が必要なことは司法過疎地の住民のみならず、駆け出しの弁護士にとっても同様で、当地に来てまず実感したことは、メーリングリスト上の複数のやりとりから受ける教示よりも、ついたて越しの何気ない会話からの方がはるかに多くを学ぶことが出来るという事実でした。白浜事務所で過ごした日々と事務所の雰囲気を今更ながらにありがたく思い出すこともしばしばです。
「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
昨年10月、宮津の駅に降り立ったときには、そんな感慨を抱いたものでした。それから5ヶ月、まさに「そ」にまみれて仕事をしてきました。他のいかなる地域の関西弁とも抑揚を異にする故郷の言葉で仕事をしていて感じるのは、故郷から離れた地で学んだ後、その地に戻って生活が出来ることの幸運です。人は、たとえ他人の役に立たずとも、成長した後は故郷に戻り、その地で暮らすだけでも価値があることではないでしょうか。まして私には、努力すれば他に対して何かを貢献することができる資格が与えられており、あとは、その資格にふさわしい実力をつけることだと思っています。稟性遅鈍な為、若くして目覚ましい成果を挙げることは難しく、多少の誤謬は覚悟の上ですが、「あきらめないこと」「くりかえすこと」を続けていけば、いつか「本物」になれるかも知れないと思っています。時として田舎では、田舎にしか存在し得ないような、例えて言うなら老松の巨木の様な人物に出会うことがあります。何十年か後、私も当地に固陋に根を下ろした老松になり得ていれば幸いです。