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白浜の思いつき
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2017/12/26

法律のすき間(新聞寄稿)

法律のすき間

規制緩和が叫ばれている。でも、法律、特に刑罰に関連した法律には細かな類型がなく、包括的なものが多い。例えば、世間一般では万引きと空き巣は全く別の犯罪だが、法的には「窃盗」と、一まとめにされてしまう。

細かな規定がないと、法律のすき間を狙った犯罪的な行為をする者が出てくる。例えば中古車の走行距離メーターを巻き戻す行為。外国ではそれ自体が犯罪となるらしいが、日本では犯罪とならない。メーターを巻き戻した中古車は詐欺商売に使われることが明らかだから、巻き戻し行為自体を法律で禁じれば、詐欺被害を予防できる。捜査機関としても立件が容易になるはずだが、詐欺は準備・計画しただけでは犯罪にならないので、警察は動けない。
雪印食品のラベル偽造問題についても、偽造行為自体を犯罪として重く処罰できるようにしておくべきだった。日本の刑法では微罪に過ぎないため警察も動きにくく、結果として詐欺行為を抑止できなかったわけである。
このような法律のすき間を埋めるためには、市民が訴訟を起こし、世論を喚起して新法を作るよう求めるしかない。公害訴訟や薬害訴訟がその典型だ。

私は似たような事件として、ゴルフ場のボールの飛来、照明光の照射による光害訴訟を担当した経験がある。
ゴルフ練習場から民家にボールが飛んでくれば、場合によっては人命にかかわる大変危険な事故を招きかねない。ライトの照射もしかり。車のアップライトに照らされ、前が見えなくなった経験のある人は多いと思うが、ゴルフ場のライトは車のライトの何十倍も明るい。そんなライトで早朝や深夜、家の中を照射されれば、安眠できるはずがない。ところが、こうした行為を明確に禁止した法律がないため、民事裁判でその禁止を求めるしかなかった。

住民側は、硬く危険な試合球の使用、深夜早朝の営業、光の照射をいずれも禁止するよう求める裁判を起こし、いったんはこれを認める保全決定が出た。ところが、練習場側の不服申立を審理した別の裁判官は「雨戸を閉めるのが常識だ」などとして試合球使用と深夜営業を許可し、ライトは窓に直接光が当たらないようにさえすればよい、と決定を変更した。

最初に出た決定の後で、練習場側がボールの飛来防止や、遮光シートの設置などの措置をとったことを考慮したのだろうが、万が一、ボールが飛び出たときのことを考えると、試合球の使用などとんでもないことだ。窓に直接光を照射しなければいいというのも、そこに人が住んでいることを無視した非常な決定としか思えなかった。
幸い、ボールが当たってけがをした住民はいなかったが、、もし、けが人が出たとしても悪いのはゴルフ練習場であって、この裁判官が責任をとることはない。大阪高裁でもこの決定は維持されたから、これが裁判官の常識なのだろう。

この事件はボールの飛来やライト照射などの防止について、住民と練習場側が協定を結ぶことで和解した。結局、解決に導いたのは裁判ではなく、地域の安全と平穏を守ろうとした住民の熱意だったと思う。
「制度の規制緩和」は必要だろうが、市民の安全にかかわる「すき間」があってはならない。裁判に訴える道があるとはいえ、それには大変な努力が必要になる。それに、必ずしも裁判官が市民の味方になってくれるとは限らないのだ。

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(注) 本稿は、朝日新聞 京都版「法廷メモランダム」(平成14年2月23日)に、掲載されたものです。

著 白浜徹朗

2017/12/26

弁護士の急激な増員は再検討する必要がないでしょうか。

私が、平成17年秋に、司法試験に合格しても就職できるとは限らないというコラムを立ち上げてから、弁護士人口の急増に関わる問題についての世論は変わりつつあるように思えてきました。最近では、弁護士の就職難がまさに現実化していることが、マスコミでも取り上げられるようになってきているようです。

前回のコラムで私が指摘したのは、日本特有の司法書士や税理士、弁理士などの法律専門職の存在を無視して、弁護士が不足していると指摘すること自体が、日本社会の正確な把握を欠いているということでしたが、相も変わらず、司法試験とその合格者数という視点だけでこの問題をとらえようとする論客が多いように思えてなりません。しかし、この問題は、日本という国における司法システムの将来像に関わる問題であって、司法試験合格者数の増加が日本の司法システムや社会構造を大きく変貌させるとすれば、それが国民のニーズに合致しているのかということがまず検討される必要があると思うのです。

この点、私は、通常の不動産取引などでは司法書士が事務を処理し、税務申告は税理士が担当し、紛争となった場合には弁護士に依頼するという現行の日本の司法システムについて、国民が不満を訴えているという話を聞いたことがありません。この社会システムについて、大きく変動させる必要があるとは到底思えないのです。ところが、弁護士の資格を有する者には税理士資格が当然付与されているし、弁護士はその業務に関連して登記業務を行うことも可能であるという構造となっていますから、弁護士人口の急激な増加は、税理士や司法書士の人口やその取扱業務の範囲をどうするかということに密接に関わってくることになるはずです。しかし、この問題が真正面から議論された形跡はないように思います。

また、誤解を恐れずにあえて言わせていただければ、弁護士が不足しているということによる問題は、都市部ではほとんど解消されつつあるように思います。これは、実際に実務を担当している者としての感想なのですが、都市部では自治体による無料法律相談なども充実しているため、弁護士に相談できなかったことで被害が回復できなかったり拡大したというような人は少ないように思います。法務省が実施している人権相談でも、弁護士による法律相談が充実している地域では利用者が少ないということなども、都市部では弁護士不足が社会的な問題となっていないことを示しているように思います。他方、過疎地では、悪質なヤミ金や消費者被害なども問題となっておりますし、上記の人権相談の需要も多く、特に弁護士が人権相談を担当するとすぐに予約がいっぱいになるという現象もありますが、これは身近なところに弁護士がいないということに原因があるという点は否定できないでしょう。しかし、この弁護士過疎問題については、ひまわり基金公設事務所や過疎地の法律相談センターの開設によって、この数年の間に大きな改善がみられています。しかも、この改善は、日弁連の自助努力によるところが大きく、国の予算的補助はそれほど大きなものだったわけではありません。その成果を確認する前に、全体的な弁護士人口増員論が先行しているというのが、現状ではないかと思うのです。実際、弁護士人口増員論の根拠として、弁護士の地域的偏在が指摘されることもあり、合格者を増やせば地方に弁護士が増えるとまで断言するような人もいるようです。そして、最近でも、合格者が増えても弁護士は都市部で増えているだけだというような間違った情報が飛び交うことがあります。しかし、実は、これは大きな間違いです。地方で就職する弁護士は確実に増えています。

私は、今年の弁護士の人口増加率を60期が全体に占める比率で比較してみました。日弁連HPによると、2007年9月1日現在の日弁連会員数は、23,098名です。60期の弁護士を検索した結果は、1,204名となりましたので、2007年9月の平均増加率は5.21%ということになります。これに対し、最大の弁護士会である東京弁護士会は4.50%、東京第一が5.22%、東京第二が4.91%、大阪弁護士会が4.46%ということなので、都市部の増加率はおおよそ平均値以下ということになるのです。これに対し、人口規模が小さい県を中心に調べたところ、おそらく、トップは宮崎の12.16%(74名中9名増)、次が青森の10.34%(58名中6名増)ということになります。関西でも、滋賀が8.75%、和歌山が6.74%、奈良が6.19%ですから、大都市を抱えていない地域ほど、弁護士の増加率は高いということになっています。つまり、弁護士の地域的偏在という問題は、合格者1500名時代でも解消しつつあるというデータが現にでてきているのです。

そもそも専門職の増加率という点で、医師と比較してみますと、医師の合格者は、最近では約8000名ですから、現役就業者数に対する比率から言うと、3.1%の増加率に過ぎません。合格者1200人時代の58期の場合は、900人の増加でしたから、2万1千人の弁護士数に比較すると4.2%の増加でしたので、この時点で、既に増加率は医師よりも高くなっていました。この増加による影響の調査すら行われることもないままに、1500名という合格者となっているのですが、この結果、司法試験合格者の弁護士としての就職先確保が極めて困難になったという現象が生じてしまっているわけです。元々、合格者を急増させねばならないほどに弁護士への社会的需要が高いということがデータとして示されていたわけでもなく、外国との形式的かつ表面的な弁護士の数の比較だけで日本は少ないということが言われていただけではなかったかと私は疑問に思っているのですが、弁護士の就職難という現実が発生してしまった以上、弁護士を急増させてほしいという社会的需要はなかったということが、現時点で実証されてしまったと言っても過言ではないと思います。そして、就職できないような資格は何の魅力もない資格ということになると思いますので、司法試験の資格試験としての魅力が急激に色あせる日もすぐそこまで迫っているということにならないか心配です。実際、司法試験の受験者数は、平成15年度の50,166名(旧試験のみ)をピークに、平成18年度は37,919名(旧試験35,782名、新試験2,137名)、平成19年度は32,582名(旧試験27,975名、新試験4,607名)と激減しています。バブル経済崩壊後の就職難とロースクールに対する過剰な宣伝で司法試験の受験者数が増加していたところへ旧試験の受験者が試験制度の変更に伴って進路変更をしている現象があるということなどを割り引いて考えたとしても、この減少は少し異常とは言えないでしょうか。

また、司法試験合格者の質の低下も指摘されるようになってきています。これは、1200名時代の到来以後、実務的にも私が実感している問題です。合格者の増大により、修習期間が短縮されていますし、指導弁護士の経験年数も大きく緩和されています。裁判所や検察庁での指導係に割り当てられている修習生の数も大きく増えていますから、500名時代と比較すると、修習指導の質が大きく変化していることは、あまり国民に知られていない事実のように思います。これが1500名時代となったことで、さらに問題は深刻なものとなることが懸念されるわけです。弁護士が法律を知らなかったり、実務的なポイントを外していたために、救済されるべき人が放置されたり、勝てるはずのない訴訟を提起したり、通るはずのない言い訳をして事件解決をこじらせたりすることが増えたら、国民にとっては迷惑ではないでしょうか。裁判官が法律を知らなかったり、解釈を間違えて、明らかに誤った判決を下したり、検察官が、罪にならない事件で市民を逮捕したり起訴したりするようなことが増えたらどうでしょうか。この点から言えば、国民が求めていた法曹の質というものと、司法試験の合格レベルや司法修習制度が乖離してしまったということがないでしょうか。とにかく合格者数を増やせということだけが先行して、修習で社会に送り出す法曹の質の確保は放置されたということは本当にないのでしょうか。この観点からも、司法試験の合格水準と修習制度については再検討が行われてもおかしくないように思うのです。

また、弁護士だけ増やしても裁判官や検察官が増えなければ、訴訟が遅滞するでしょうし、市民から提出された告訴・告発などが事実上放置されて処理されないという現状は全く改善されないことになりますが、司法試験合格者の数に比例して、裁判官や検察官の採用数が増えているわけではなく、下記のとおり、むしろ採用数は抑制されています。特に裁判所の採用抑制には顕著なものがあります。この結果、司法試験に合格し、法曹資格者となっても、実際に法曹にはならなかった人が着実に増えているというわけです。有資格者を増やしたのは形式的には国ということになるわけですが、その国が法曹の採用を抑制しているというのは、極めて矛盾した取扱だと思います。特に、旧60期について、裁判所が新規採用を顕著に抑制したことは、国民に説明を要するものとなっているように思います。仮に、その政策の背景に裁判所として求める裁判官採用予定者の質の低下があるというのであれば、国民にとっても重大な問題だからです。

私は、司法試験の改革は、国民にとって利益になるような司法システムの提供につながるものとなるべきであって、大学などの教育機関にとって都合がよくなるように合格者を増やすということであってはならないはずだと思っています。この数年で行われた司法試験制度の「改正」で、最も大きな被害を受けたのは、振り回された受験生かも知れませんが、初めに合格者数ありきというような考えが先行する限り、受験生だけでなく国民全体がこんなはずではなかったと言われるようなことになるのではないかと懸念しております。そんなことにならないように、もっと社会の実態を見据えた上で、その改善のためにどう司法試験を改革するかという議論が行われることに期待しています。このコメントが、その方向につながることを期待しております。

2回試験合格者と就職先の推移

2回試験合格者 弁護士 裁判官 検察官 その他
平成17年 1158 911 124 96 27
平成18年 1386 1144 115 87 40
平成19年 1397 1204 52 72 69(旧60期のみの数字)

※ その他の人数は、合格者数から弁護士や裁判官、検察官となった人の数を控除した数値である。合格者は留保となり後に合格した者を含んでいない。同様に、弁護士には留保後合格して弁護士に登録した者も含んでいない。裁判官、検察官の新規採用数は、新聞発表データによる。

著 白浜徹朗

2017/12/26

司法修習の現状と課題

以下に述べることは、司法修習に関わってきた現場の弁護士として、司法修習の現状について分析を加えてみたものである。司法修習委員会などで得られた情報なども踏まえての分析ではあるが、あくまでも委員会としての意見ではなく、個人的な意見であるということにご留意いただきたい。

1.司法修習は、法曹三者のOJTの入り口であり、その機能不全、特に弁護修習の機能低下は、司法全体に重大な悪影響を及ぼす
司法修習は、弁護士・裁判官・検察官という法曹三者の実際の仕事を実際に経験させる中で、法律家を育成する仕組みである。法曹一元の制度は、官としての法律家である裁判官や検察官を弁護士という民間の中で育成するものであるが、日本の司法修習は、法曹三者の仕事を実際に実務に就く前に全て最初に経験させて、法曹三者が共同で育成するという際だった特徴を持った育成制度ということになっている。私は、この司法修習の中でも弁護修習は、官たる裁判官・検察官になる者の研修に民間たる弁護士に関わることになっていること、逆に言えば、民間の仕事を官たる裁判官・検察官になる者に実際に経験し理解させるという点と、何かあっても弁護士として仕事をする道がつながっているということが上司などに逆らってでも自らの職権を行使するという職務の独立性を補助的に支えることになるという点で重要な役割を有していると考えている。このように考えると、弁護修習がうまく機能しなくなってしまえば、日本の司法が変質してしまう程の大きな影響が生じる可能性があるということがおわかりいただけるものと思う。

2.法科大学院制度の導入に伴って、司法修習はどう変化したか
司法修習は、司法試験500人合格時代は、2年間の修習で、そのうち最初と最後の4ヶ月が司法研修所での前期後期の集合修習となっており、残りの16ケ月は、弁護実務・民事裁判・刑事裁判・検察の実務修習を各4ヶ月行うということになっていた。
これが、司法試験合格者の増員に伴い、1999年(平成11年)から、修習期間が1年6ヶ月となり(第53期)、各修習期間もそれぞれ3ヶ月に短縮された(私は、これは、予算と人員特に研修所教官確保のために短縮されたものと考えている。)。
法科大学院を経た新司法試験合格者のための司法修習は、新修習と呼ばれ、従来型司法試験の合格者を対象とする司法修習は現行型修習と呼ばれた。新司法修習は、60期(平成19年)から開始されたが、65期までは、現行型と新司法修習が併存していた。新司法修習では修習期間が1年に短縮され、前期修習がなくなり、実務修習期間は2ヶ月となった。前期修習に代わるものとして、教官の出張講義というものが行われている。修習の末期には、司法研修所での集合修習が行われるが、司法研修所では現状の修習生全員を収容することができないことから、A班とB班とに分けられ、A班が先に集合修習を受け、B班は、その間、実務修習先で選択型修習というものを受けることにされた。A班の集合修習が終わると、B班の集合修習が開始され、その間、A班が選択型修習を受けることとなる。修習の合否が最終的に、二回試験で判定されることは、現行型修習と同じである。2011年(平成23年)11月からの新65期から重大な変更として、貸与制の導入があり、修習生は修習専念義務を課されながらも無給とされるという過酷な状態に置かれるようになっている。なお、二回試験は、現行型が併存した新64期までは年に2回実施され、不合格者は、1年経たずして再受験が可能となっていたが、現行65期は新65期と同じ機会に二回試験を受験するということになっている。この二回試験も改革され、従前は合格留保の処分が多かったが、留保ではなく不合格処理に一本化され、不合格者に対しては、残り2回しか受験を認めず、3回不合格となった者は司法修習が終了できないことが確定することになっている。なお、新司法修習の開始に伴って、現行型修習の修習期間も短縮され、2006年(平成18年)11月修習開始の現行60期からは、1年4ヶ月修習となっている。
修習期間の短縮の結果、受任から訴状の提出に至るまでなど、事件を経過として把握する機会が与えられないことになり、見学に近い研修になってしまっているのではないかとの懸念がある。また、刑事弁護事件に接する機会の確保は困難となっており、民事事件の証人調に立ち会うことができた修習生も少なくなっている(但し、修習生の感想からすると、検察や刑事裁判については、2ヶ月でも充実した修習となっていたという者が多いようである。)。
なお、新司法修習では、クラス編成は、実務修習地単位となっており、小さな修習地では他の修習地とクラスが一緒ということもあるが、東京や大阪などの大きな修習地であれば、他の修習地の修習生との接点はほとんどなくなっている(※1)。

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※1
昔の修習生は、研修所のクラスでの友人関係が長く続くことが多かったような印象があるが、新司法修習では、研修所のクラスが実務修習地単位になっていることと、集合修習の期間が短くなったことが影響しているのか、研修所のクラスでの友人関係よりも、法科大学院で培われた友人関係が重要となっているようである。1年のおつきあいよりも、2年間一緒に勉強した人との関係が強くなるのは必然なのだろう。
ただ、法科大学院によっては、裁判官や検察官に採用された者があまりいないところもあるかも知れないため、弁護士になってから、裁判官や検察官の友人に意見を求めることが難しいということになるかも知れないし、前述したように、他の修習地の修習生との交友の機会が減少していることから、離れた場所の事件処理の関係で、友人の弁護士に助けを求めるというようなことも難しくなるということにもなってくるかも知れない。
修習制度の変化に伴い、修習生の交友関係が、昔よりも狭くなってしまったような印象を受ける。
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3.前期修習の廃止をどうとらえるべきか
現行型修習と新司法修習の制度上の最も大きな違いは、前期修習の廃止である。
新60期では司法研修所での1か月の導入的教育が実施されたが、新61期より廃止され、教官の出張講義が行われるようになっている。
新司法修習制度における司法研修所での集合修習(従前の前期修習)と法科大学院における実務導入教育の役割分担の在り方について、2001年(平成13年)6月12日付司法制度改革審議会意見書(以下「改革審意見書」という。)では、「今後、法科大学院の制度が整備され、定着するのに応じ、随時見直していくことが望ましい」とされていたが、2004年(平成16年)7月2日の最高裁司法修習委員会(※2)で、「現在の前期集合修習に相当する教育は法科大学院に委ねることとし、新司法修習は実務修習から開始」するとしつつ、「法科大学院設立当初は、いわば実務への導入教育の成熟途上といえるので、当面、司法修習の1年間の課程の冒頭に、法科大学院における実務導入教育を補完するための教育を行うことが相当である」とされたが、2007年(平成19年)11月9日の最高裁司法修習委員会(第11回)で、新61期以降、司法研修所での導入研修を廃止し、「集合形式での実施に代えて」、実務修習地に教官が出張して講義を行う形で実施することにされたのである。慎重論もあったが、「法科大学院で実務への導入教育をすることで制度設計されており、本来は導入研修は要らないはず」との制度論と、「司法研修所教官と配属庁会の連携をより強化する」というメリットが強調され、司法研修所での導入研修に代えて出張講義を行うことが了承された(※3)。以後、新65期まで、この方法が踏襲されてきている。
これに対し、日弁連の司法修習委員会の中では、法科大学院の中には実務導入教育ができていないところもある中、いきなり実務修習から開始することには、修習生だけでなく指導弁護士にも混乱が生じることとか、会員数の少ない単位会では導入的な研修の実施が困難であるということから、前期修習類似の制度を復活させるべきであるとの意見を述べる者も多く、地方単位会を中心として、未だに前期修習復活の声は根強く残っている。
ただ、現状では、最高裁司法修習委員会では司法修習生を研修所に集める形での導入修習の復活には否定的な意見が支配的で、今日に至るも、導入修習の復活の目処は立っていない。実際、現状の修習生数である2000人を超える人数を司法研修所で一度に収容することは不可能である。そのような中、66期からは、統一的な導入修習の実施が困難な弁護修習についてのみ、各地でインターネットを通じた2日間の導入修習を実施することとなっている。現状の修習生の数を前提とする限り、修習生を司法研修所に集めて実務修習開始前の導入的な集合修習を行うことは困難であるため、妥協的な産物として考え出された制度ではあるが、日弁連の中では、重要な改革として位置づけられている。貸与制の関係で、修習生の交通費の負担問題にも配慮が必要となるし、研修所の教官の派遣講義の機会の増加は教官の負担が大きすぎて無理があるので、インターネットを通じで全国一斉に研修を行うことについては、今後も経験を蓄積し改善を図ってゆく必要があるように思われる。

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※2
最高裁司法修習委員会は、2003年(平成15年)5月1日に設置され、法曹三者、司法研修所長、法科大学院教員、学識経験者等10名の委員により構成され、司法修習についての基本方針の策定及び実施に関する重要事項、司法修習に係る司法研修所の管理運営に関する重要事項などを調査審議し、最高裁判所に意見を述べるものとされている。

※3
導入としての集合修習の廃止と新たな導入修習制度の導入については、日弁連法曹養成対策室報第4号に掲載されている藤田尚子弁護士の「新司法修習の現状と課題-導入的教育を中心に」と題する報告が詳しい。本稿も、この報告を参考とさせていただいている。それによると、導入修習の新60期限りでの廃止については、以下の反対意見が述べられているようである。
「導入的教育を冒頭に約1か月間置くことにしたのは、法科大学院における実務教育の導入部分の教育が成熟するまでの間、それを補完するためだったはずだが、まだそれが検証されていない」
「認証評価でも、実務教育の導入部分についての教育が相当程度きちんと行われている法科大学院もあるが、かなり問題だと感じる法科大学院もあり、その実態は、数年では変わらないだろう」
「法科大学院の実務教育の導入部分のばらつきが、将来的に一致して導入研修を早期になくせるような方向にまとまっていくかというと、そう楽観的ではないだろう」
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4.法科大学院は、旧来の前期修習に代わる存在となり得ていない
法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律によれば、法科大学院には、「法曹の養成のための中核的な教育機関として、各法科大学院の創意をもって、入学者の適性の適確な評価及び多様性の確保に配慮した公平な入学者選抜を行い、少人数による密度の高い授業により、将来の法曹としての実務に必要な学識及びその応用能力(弁論の能力を含む。次条第三項において同じ。)並びに法律に関する実務の基礎的素養を涵養するための理論的かつ実践的な教育を体系的に実施し、その上で厳格な成績評価及び修了の認定を行うこと」が義務づけられているし(第2条1号)、国には、「法科大学院において将来の法曹としての実務に必要な学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を涵養するための教育が行われることを確保する」ことが義務づけられていることからすれば(第3条3項)、少なくとも前期修習廃止に代わる教育は、法科大学院で行われて当然であろう。しかして、法科大学院での教育が、前期修習に代わるものとなり得ているのだろうか。
この問題に対して、各地の単位会では、法科大学院での教育が司法修習にどのような影響を与えているのか、実務に役立つものとなっているのかということについて、修習生にアンケートを実施したり、修習生から直接に話を聞いたりしている。日弁連でも修習委員会と修習生との懇談会を開催して、この点を尋ねる機会を持っている。指導担当弁護士が修習生と接する中でも、法科大学院教育が実務の橋渡しとなっているのかということについて、考えさせられる機会がある。日弁連として、総合的な評価をした公式見解は発表されていないはずなので、断定的な意見を述べることは難しいが、これらの情報に接する中で、私が持った個人的な印象は、以下のとおりである。

要件事実教育は、各法科大学院でも重視されており、修習生の中でも習得の実感を持っている者が多いが、具体的な事例へのあてはめは苦手と述べる修習生も多い。
事実認定については、法科大学院によっては、教育されていないのではないかと思われるところがあり、修習生も、実務修習の際に最も戸惑いを覚える者が多い。ただ、この事実認定論は司法試験科目となっていないため、法科大学院での学習では身につかないとの感想を述べていた修習生もいた。
法曹倫理については、ほとんどの法科大学院で教育がされているが、これも司法試験科目ではないし、実務のイメージがないままに講義を受けても身につかない、実務修習中に具体的事例を踏まえた講義を受けたときには理解しやすかったと述べていた修習生がいた。
訴状や答弁書、弁論要旨など、実務的な文章を起案したことがない修習生がかなりの割合となっており、実務的な文書の作成の経験については、法科大学院によって、大きな差が生じている。
判例や文献などの検索能力には長けている修習生は多いが、個別事件への具体的なあてはめや文章展開は苦手な修習生も多い。

以上述べたような修習生側の実感や指導担当弁護士としての経験からすれば、法科大学院での教育に前期修習に代わるような教育的成果を期待することは無理だと言わざるを得ない。実際、法科大学院関係者には、井上正仁など、法科大学院教育には前期修習の代替はできないと公言している者がいて、社会的責任の自覚も不足しているようである(※4)。以上のような教育実態からすれば、法科大学院制度は、その必要性も含めた抜本的な見直しが必要であるし、実務修習をスムースに実施するための導入修習の重要性が高まっていることは間違いないものと言える。
なお、この問題の最も有効な解決策は、修習生の数を最大でも一度に研修所に収容できるだけの数に減員して、たとえ短期間であれ、導入的な統一修習を実施することであろう。修習生の数が減れば、予算面からの制約もクリアしやすくなることが期待できよう。

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※4
法曹の養成に関するフォーラム第13回会議(平成24年4月24日開催)の議事録では、井上正仁は、以下のように述べて、法科大学院で前期修習の役割を担うことはできないと断言している。
司法修習のもともと2年だった最初の研修所で行う座学(前期修習)の部分はロースクールでやってくれるものだと,そういう前提で考えていた人も結構多かったのですが,司法制度改革審議会ではそういう前提に立っていたわけではありませんし,現実問題としても,法科大学院で行うべき教育の中でどれだけ余裕があるか,余裕が大きければ従来の前期修習に相当する部分を引き受けられるけれども,余裕がなければそういうことはできないわけで,現状がどうかと言いますと,実務界の一部からは法科大学院修了生は法的な基礎知識が不足していると言われて,基本的法律科目をより手厚く教えなければならなくなっている状況では,実務との架橋を図るというのが精一杯というのが正直なところだと思います。ですから,従来の前期修習に相当する部分の大半は,法科大学院では背負いかねるわけで,そのことを踏まえて司法修習を考えていただかなければならない。
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5.選択型実務修習の現状と課題
選択型実務修習は、「分野別実務修習の各分野を一通り体験した後に、司法修習生各自が、その実情に応じて、主体的に選択、設計することにより、分野別実務修習の成果の深化と補完を図ったり、分野別実務修習の課程では体験できない領域における実務修習を行ったりする課程」とされ、その期間は2か月とされている。
この選択型修習では、ホームグラウンド修習制度というものが採用されており、選択型修習の期間中でも、弁護実務修習先で最低1週間は修習することとなっていることから、弁護修習の期間は、多少長くなっている。選択型修習は各地で工夫を凝らして実施されており、地元企業での研修を実施しているところなどもある。施設見学や模擬裁判など、従来の実務修習で実施していたものを実施するようにしている修習地も多い。特に模擬裁判は、修習効果が大きいことから、ほとんどの修習地で事実上の必修となっているが、修習生の負担も大きいことから、就職活動などへの余裕がなくなることや、二回試験への不安からそのための勉強時間を確保したいというような動機で、この模擬裁判を担当しないようにする修習生が増えてきているのが、ごく最近の傾向である。また、裁判官や検察官への就職希望者が、裁判所や検察庁の提供プログラムを希望することも増えており、分離修習的な傾向が出現しているのではないかとの懸念を訴える声もでてきている。

6.就職問題の影響
司法修習生の就職難は、既に世間一般でも話題になるほどであり、しかも、年々ひどくなっている。就職先が早く決まる修習生は、修習開始前に決まっているが、修習生によっては、数十通の履歴書を送付しても面接にさえたどり着けないという者もいて、しかも、その割合は年々増えている。たとえ採用されたとしても、給与水準が急激に下がってきているし、そもそも事務所に籍を置いてもらうだけで給与はもらえないとか、もらえても極めて低額な薄給となっているノキ弁という雇用形態も出現している。勤務先を確保できないまま最初から独立開業するという即独という業務形態も出現している。この即独は、OJTの機会をもらえないこととなるため、法曹の養成課程として、あまり推奨できるものではないが、年々増加傾向にある。なお、ノキ弁はまだ指導を受けられるだけ即独よりましなどと言われているが、ノキ弁であれば、OJTの機会が保証されているかというとそうでもないようであり、研修所教官や実務修習先の弁護士に指導を仰ぐような弁護士も増えているようである(※5)。
就職が困難になっていることは、修習生が就職活動に追われて、修習のための学習の時間を確保しにくいということにつながっており、大きな影響を与えている。選択型修習の中で模擬裁判に参加しない修習生には、就職活動の問題を指摘する者もいる。実際、模擬裁判に参加しない修習生は、一括登録時点で弁護士登録をしない修習生が200名を超えた新63期から出現した傾向である。選択型修習の登録が行われる初夏の時点で就職が決まっていない修習生が3分の1以上というようなことになれば、時間や労力を費やす模擬裁判への参加に躊躇する修習生が層として出現するのは、さほどおかしなことではない(※6)。
この問題に給与制の廃止が拍車をかけており、北海道や九州などの遠隔地に配属された修習生には、交通費だけでも相当な負担となっているということを訴える者が多い。
このように、就職難は、修習に大きな影響を及ぼしており、その是正も急務であるが、雇用需要の伸びが全く期待できない中、この解決策としては、修習生数の削減しかないことは明らかである。

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※5
即独に近い人がノキ弁を雇うという事例も出現しているようである。経費負担をしてくれる人を増やそうとしていることではないかとの懸念もあるが、この傾向が強まることは、ノキ弁のOJTの機会が減少することにつながるのではなかろうか。

※6
後述する指導弁護士確保の障害の一つとして、修習生の就職に関する相談に乗ることが難しいということを述べる弁護士もかなりの割合となってきている。本来、就職先の確保などは、修習指導担当弁護士の職責ではないが、事実上、そのような負担感が生じていることが、指導弁護士確保を難しくさせるということで、ここでも負のスパイラルが生じていることになる。
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7.貸与制の影響
新65期から貸与制が実施されている。貸与制の採用は、弁護士の所得が高い時期に考えられたものであって、高い給与をもらうようになる弁護士が研修を受けるのに給与をもらうのはおかしいのではないかという発想に基づくものであろう。しかしながら、人的需要を無視した過剰な供給によって、弁護士の初任給水準は急激に悪化しているし、そもそも就職ができない修習生が大量に出現する事態となっているため、その前提が大きく崩れてしまっている。現状での貸与制の採用は、法科大学院制度の強要に伴う学費等の負担増とのセットによって、経済的理由で法曹への進路を断念する者を大量に作り出す原因となってしまっている。実際、新64期では司法試験に合格しながら、修習しなかった者がかなりの数出現している(※7)。
貸与制は、貸与を受けるだけ恵まれているという意見もあるかも知れないが、貸与を受けることで被扶養者ではなくなってしまい、社会保険などの負担は大きくなる。学生ではないので学割もなく、交通費の負担は社会人扱いとなるが、無収入という評価を受けるため賃貸住宅の入居も難しい。子どもがいる修習生の場合、11月末という中途半端な時期の入所となる上、待機者の中では実際に働く人が優先されるため、順番は最後となってしまう(※8)。
修習生の中には、生活保護の需給申請を考えたという者も出現しているし、法律書の購入にも消極的となっていたり、宴会などの交際費の支出に敏感な者が増えたりしている。和光市では、修習生がほとんどタクシーを利用しなくなったということである。
このように収入を制限しながら、専念義務ということでアルバイトが禁止されていることは、人権侵害ではないかと訴える修習生もいる。修習生は、記録を検討したり、起案をしたりするなどして、実際に業務に従事している側面もあることから、単に研修を受けるだけの警察学校や税務学校ですら給与が支払われている中、司法修習生に給与の支払がないのは、憲法違反ではないかと言う修習生もいる。これらの修習生の人権感覚の方が、この制度を考え出した者よりまともではなかろうか。

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※7
平成22年の新司法試験の合格者が2074名だったのに対して、新64期の修習生は2022名なので、単純計算すると52名が修習を辞退していることになる。平成23年は、同じく合格者が2063名で、新65期の修習生が2001名なので、62名が修習を辞退していることとなり、辞退者は増加傾向にある。今年も、同様な辞退者がでるものと見込まれている。但し、司法試験に合格していたが、修習を遅らせていた人が毎年何人かは修習しているため、正確に何人が辞退しているのかはわからない。ただ、毎年辞退者は数名だったことから、この52名という数字はこれまでになく多い数字であって、これが翌年更に増加したということは、決して軽視できないデータである。

※8
新64期までは、修習生は裁判所の共済組合に加入していたが、貸与制の導入に伴い、共済組合には加入しないことになった。大規模庁内に設置されている診療所が利用できなかったという修習生もいるとの報告もあるようである。健康に関わる問題で、このような部外者的扱いをすることは問題なので、追跡調査が必要と思われる。
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8.現場を無視した過剰な割当に伴う問題(指導担当弁護士確保すら困難な状況の出現)
修習生の数が多いために、集合修習を一度に実施できないということになっていることは、既に指摘したが、現状では、修習指導担当弁護士の確保が困難となっており、その困難さは、年々深刻なものとなってきている。
従来、修習指導担当弁護士は、経験が豊富で修習生を指導するのに相応しい弁護士が選ばれており、経験年数10年など、資格には条件が設定されているところがほとんどだった。しかし、従来の受入人数の倍どころか、4倍近い人数を各地に配置するということだと従来の基準では対応が不可能だったことから、経験年数を例えば弁護士経験5年にするなど、大幅に緩和せざるを得なくなった。これは、豊富な経験を伝えるという弁護実務修習のOJTとしての機能を大きく減退させている。このような条件緩和をしたにも拘わらず、最近では、京都などの会員数の多い弁護士会でも、指導担当弁護士の確保が困難になってきている。経験のある弁護士の数は増えない中、人数としては増えてきたはずの中堅どころの弁護士が、修習生にみてもらう事件がないとか無理をして若い弁護士を雇い入れたのでスペースがないとか、そもそも事務所に修習生が座れるスペースがないとか、就職のことで相談に乗ることが心理的に負担であるなどの理由で指導弁護士となることを断る事例が続出しているためである。結果的に、弁護実務修習は、5年前と比較すると質・量共に相対的に低下傾向にあると言わざるを得ない。
また、会員数の少ない小さな単位会では、資格のある弁護士のほとんどが、毎年修習生を抱えているという状況になっており、負担が重すぎるとして、一部の単位会からは削減要求がでている。しかし、研修所教官の派遣講義の関係で隣接修習地の組み合わせの問題があり、改善が事実上困難となっている(例えば、仙台と青森、函館が1クラスを形成しているとすると、この3つの修習地の中での人員の割当を再検討することになる。)。
また、裁判所には各地に支部があるにも関わらず、修習生の配置は、裁判所と検察庁の事務処理の便宜から本庁に限定されているが、米子(鳥取地裁)や北見(釧路地裁)など、事件数が本庁よりも多い支部もあることから、周辺に多くの弁護士事務所がある支部も全国各地に存在している。このため、各地の弁護士会では支部修習というものを実施することにして、本庁の弁護士不足に対応している(例えば、小倉、姫路、尼崎、浜松、米子など)。この支部修習実施のために別途必要となる交通費などについては、司法研修所から補助されることはなく(※9)、弁護士会が事実上負担していたが、この度の給費制廃止に伴って、日弁連がその分を負担することになっている。司法過疎対策が指摘されている中、これは制度的にもおかしなことであり、早急に改善されることが望ましい。但し、支部修習問題を司法研修所が全く無視しているわけでもない。全国で唯一、立川支部修習が導入されている。おそらく現場の裁判官にも負担加重の問題が生じているためであろう。しかし、支部修習が全国で1箇所だけということでは、早晩、指導担当弁護士確保問題は、重大な局面を迎えることになるおそれがある。少なくとも裁判員裁判が実施されている支部のいくつかに修習地を設置することは急務となっている。ただ、この支部修習の拡大の問題についても、司法研修所教官の派遣講義の問題が事実上障害となっている。修習地が増えることは、派遣講義の負担が大きくなるという実務的な問題があるためである(※10)。
この問題の解決策はただ一つである。修習生の数を現場の状況に合わせて減員することである。

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※9
弁護士会に国から支払われる修習委託費は、修習生の頭数に応じて算出されることになっているためである。

※10
予算の関係上、修習生を一部の修習地に集めるのではなく、教官が各修習地を巡回するようにして講義が実施されているためである。ただ、支部修習に関して言えば、講義は本庁で実施するということにすれば、さほどの負担はないはずである。
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9.まとめ
今の司法修習は、法科大学院制度が前期修習に代わるような機能を果たしていない中、実務を無視した過剰な修習生を現場に送り込んでいることと、急激な弁護士人口増加の影響を考慮しないままに貸与制を導入したことや就職難などが影響して、機能不全になりつつあると言える。しかも、この機能不全はそれぞれが微妙に重なって負のスパイラルを形成しつつあり、このままでは、早晩、実務修習の担い手の確保すらできなくなるのではないかとまで思えるほどの危機的状況にあると言える。この危機の打開のためには、法科大学院制度の抜本的見直(この制度を法曹養成制度の中に位置づけるのかどうかということも含める必要がある)と司法修習生の数の限定が急務であり、この2つの対策を抜きにしては、修習制度の改善などできないだろう。

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(注) 本稿は、平成24年11月10日に日比谷図書文化会館 日比谷コンベンションホールにて開催された「誰のため、何のための法曹か(法科大学院と法曹養成制度をいま、問い直す)」と題する研究集会において、白浜が研究報告した際のレジュメを再編集した物です。

2017/12/20

法科大学院の未修枠目標の撤廃などについて思うこと

 日経新聞の最新の記事によると、文科省としては、法科大学院の改革として、未修者3割の目標を撤回するということである(著作権などの問題があるので、引用は控える。)。要するに縮小するということなので、そのこと自体は、よいことのように思う。しかし、元々1年で法律の基礎を習得させるという制度設計自体に無理があったのであって、未修の枠を撤廃するというよりは、未修という制度そのものを撤廃した方がよいのではなかろうか。法的知識が不足している人も入学できるようにするとしても、3年かかって卒業する学生と2年で卒業することを予定する学生とに分けるぐらいにすべきであって、それぞれ、法的素養についても入学試験で審査するようにして、法的思考になじまないような人や法的素養が全くないような人までも法科大学院に入れるということではなくすようにするべきだろう。多様な人材を法曹界に確保するという目標があったとしても、法律家としての個別の事案分析や判断に問題があるような人材までも法曹界に入れるべきだというようなことではないはずだし、他の分野から参入したいと考えるような人達であれば、法律の勉強を全くしないままに参入できるなどと考える人はいないはずなので、このような改革が行われたとしても多様な人材が確保できないということにはならないはずである。現状で、他の分野からの法曹への参入が減っているのは、未修という制度に問題があるからではなく、弁護士を激増させすぎたがために、就職難や収入の激減などまで生じて、弁護士の職業的魅力が大きく減退したことが原因である。これは、需給調整をすればよいだけの話で、制度設計を大きく変える必要もない。
 なお、この日経新聞の記事によると、「未修者の質を確保して司法試験の合格率上昇につなげたい」との説明があったということのようだが、おかしな話のように思う。法科学院に求められているのは、優秀な法曹の養成であって、司法試験予備校のように司法試験の合格率を上げることではないと思われるからである。試験に合格さえさせればよいということでは困る。また、司法試験の合格率の問題は、個々の法科大学院の個別目標であって、司法試験全体としての合格率を安易にいじることはよろしくない。安易に合格率を緩めることは司法試験の選抜能力を引き下げてしまうことであり、優秀な人材の確保という点での問題が生じることになってしまうからである。未修という制度の下での未修者の司法試験合格率を高めようとすれば、法科大学院に入学させる時点での選抜を強化するか、あるいは、家庭教師のような個別指導に近い徹底的な指導強化しかないが、後者のような方式であれば、授業料等が相当高いものにならないと、採算に合わない制度となってしまう。いずれにしても、個々の法科大学院の努力目標であるべき司法試験の合格率の向上を、制度設計に関わる文科省が口にするのは、学校の先生が試験をやさしいものにしてしまいましょうかと言っているようなものだから、文科省が司法試験の合格率について言及するのはいかがなものかと思う。
 また、この記事の背景となっているものと思われる法科大学院等特別委員会(第83回)の配付資料中の「法科大学院等の教育改善について(論点と改善の方向性)(案)」の中に、「時間的負担軽減のため、法科大学院在中の司試験受験をはじめ、司法試験の在り方についても検討するべきではないかとの指摘についてどのよう考えるか 。」との指摘があったことが気になった。在学中に受験を認めるべきことは学生の立場からして当然のことであり、これを認めない制度設計そのものが欠陥なのだから、検討が行われたことは喜ばしいことである。ただ、これが時間的負担軽減のためと断定されているのはおかしいように思う。卒業後に司法試験を受けて、合格後に司法修習開始ということであれば、必然的に無職者を生み出すことになるという問題は極めて深刻な制度的欠陥であると私は思うのである。大学受験浪人であればまだ十代であるが、法科大学院の卒業生は二〇代後半となる人もかなりの割合となる。そんな時期に無職となること自体問題のように思う。アルバイトなども難しいはずである。自分が学生の親であるとすれば、どう思うのだろうか。採用する側としても、アルバイトなどしている時間があれば、さっさと修習を経て、実務に就いて、OJTに励んでもらいたいと思う。二十代半ばに無職となる時期をあえて設けなければならない制度設計とする理由は全くない。この問題は学生や保護者の立場に立って考えるべきことであろう。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/041/siryo/__icsFiles/afieldfile/2017/11/27/1398626_010.pdf